目に見えないものと教育の意味と強制マスク社会はイヤだの巻

 

菌との付き合い

 

梅の酵素シロップを作ったり

 

味噌を作ったり

 

バナナパウンドケーキを作ったり

 

発泡炭酸りんごジュースを作ったり

 

そんなここ最近な我が家

 

発酵食品の魅力はどこにあるのだろうか

 

目視は出来ないけど顕微鏡では存在を確認出来る

 

目に見えるものと見えないもの

 

見えないものの方が圧倒的に多い

 

認知と感知の違い

 

目に見えるものだけを信じる物質主義

 

近代教育はこっちを重心に教えてきた

 

だから目に見えないものをおざなりにしてきた結果

 

心の問題を抱える人が増えたのが現状だ

 

物と見えないものとの調和

 

日本人は余白の中に美を見出してきた

 

障子越しの明かりに映し出された床の間に飾る物の陰影

 

それがLEDライトでパァーって照らし出されたら風流もなんもないですよね?

 

太陽の動きを考えて昔の家は建てられていた

 

それで入り口をどちらに設けてと計算されていました

 

だけど今では土地が建て売りになり

 

隣の家の感覚が所狭しと家が建ち並ぶ

 

余白ないですよね?

 

この結果、精神的余白もなくなっていくのです

 

満員電車の乗車率120パーセントに毎日乗って通勤する

 

そりゃ心が病んでいきますよね

 

そうなると環境は大事になってくる

 

何を大事にしたいのか?

 

大切なものはそんなに多くはないはずだ

 

詰め込み教育では本当の意味での考えるが育たない

 

学校では「叡智」と言う言葉の語源や派生は教えても

 

本当の意味での「叡智」は教えてくれない

 

じゃあ教育ってなんなのか?

 

行動する人間を作り上げることただ一点

 

生きるとは行動して経験すること

 

行動や経験がないのに叡智がどうとか解るはずがないのだ

 

教科書の中に本当の叡智なんてないよ

 

この子どもたちが毎日家にいる時間帯

 

本当の意味での教育や学校ってなんなのか?を考えてみた

 

自発心を育てることや環境作りが非常に大事になってくる

 

親や教師の都合の良い教育からの卒業

 

氣育、知育、徳育、常識の涵養

 

これが本当の意味での体育だと思う

 

その為には自分たちも学び続けなければならない

 

大学を卒業したら学ばなくていいというのなら

 

その先に発展はない

 

出来ることを増やす為にも学び続ける

 

子どもの方が自由柔軟に物事を対処する

 

身体も柔らかいしね

 

だから考えも凝り固まってない

 

身体の凝りは思考の凝りに繋がる

 

弛めながらも地に足をちゃんと付ける

 

フランスの哲学者モンテーニュはエセーの中で中庸を説いていた

 

それが答えだ〜と一つのことに盲信するのは危ないぞと

 

ほんとその通り

 

情報の中でも一次情報、二次情報、三次情報というのがあって

 

情報の源を辿らず鵜呑みにしてしまう人が多すぎて

 

そのあとのなんでそうなったのか?と精査しなくなっている

 

昨日久しぶりの小学校だった息子に聞いてみたら

 

どうやら授業中マスクみんなしないと駄目らしい

 

これからの季節暑いし頭ぼーっとするだろうし

 

テレビやマスコミは二次感染被害を煽っている

 

なんだろうなぁこの違和感

 

極度の恐怖が思考を止めさせてしまう

 

ネガティブキャンペーンだし

 

ショックドクトリンだし

 

もういちいち反応するのには疲れちゃうよね

 

強制マスク社会が訪れちゃうよ〜

 

目元だけだと人の表情も読めないしね

 

もう地道に基礎免疫力を日々高めていく

 

毎日を楽しく生きていく

 

今日は定休日

 

先週は静岡にいたりと移動だったので我が家では二週間ぶり

 

畑仕事して買い出しに行ってきまーす( ^ω^ )

 

今日も最高な一日を

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono