知性ある消費とエシカルの落とし穴

 

 

今日は早速ですがエシカルの罪(落とし穴)という点で書いていきたいと思います

 

一昔前に比べて環境問題への意識が高い方々は持続的で倫理的(エシカル)な消費を心掛けている

 

それがエシカル消費という風潮を作り出しました

 

生産背景や環境に配慮された行動は素晴らしいこと

 

でもそこに潜む一つの側面というのがあって

 

一つに大抵の物が高額であること

 

これが意識高い富裕層の免罪符的な役割を担ってしまっていて

 

エシカル商品を買うことによってのその他多くの問題から目を背け

 

一種の罪の意識から逃れることに繋がるんですよね

 

もっと大きく見てみると、世界はまだまだ貧困と格差がものすごく開きがある

 

貧困層の人から見たらエシカルなものはハイブランドと何も変わらなかったりする

 

自分が一生涯購入することのできないものを作り出しているのかもしれい

 

でもこの指摘も正直ものすごく厳しいものがあるのも事実

 

部分最適解でしか世界は変革していかない

 

だからマクロ経済の視点でミクロ経済を語ることができないように

 

そもそものフレーミングの定義が間違っていると議論は永久に平行線

 

日本の繊維産業だけを見ていくと

 

麻→木綿→ナイロン、ポリエステルと言った石油由来の生地(石油を着る時代)

 

麻から木綿に移行する時に起こった一つの大きな出来事

 

麻の生産には肥料がいらなかったのだが綿花を栽培するのに肥料が必要になってくる

 

肥料を手に入れるには現金が必要

 

ここから自給自足の破綻のひとつと言われている

 

この辺りから社会構造が変化し持てるものと持たざるものの格差が生じるんですよね

 

江戸時代あたりまではまだよかったと言われている

 

自国の地域消費で賄える分のみの生産でよかったから

 

でも繊維産業に湧いた1800年代後半に日本の布が外国に買われはじめた辺りから変わっていった

 

今でも綿の生産してる国や場所の推移を考えるとわかるように綿花栽培はとても過酷な仕事なんです

 

南米、アフリカ、ウイグルの現状を見ればわかりますよね?

 

途上国における労働環境への意識の欠如

 

バングラディシュでのビル「ラナ プラザ」の倒壊事故

 

そんな環境で作られてたんだと公のニュースになった衝撃的な事件でしたよね

 

これ関して今では改善策は提示されているんだけど

 

外国資本の中間搾取が排除すれば現地労働者の賃金や労働環境の改善に繋がる可能性はある

 

だから過剰にまで取り過ぎはよくない

 

これも自分さえよければ問題っていうもあるよね

 

正直考えたくないで終わらせれば終わる話だもん

 

でも個人でできることの一つとして目に見える作り手への消費は一つ挙げられる

 

今過剰なまでに作り過ぎた行き場の無い古着たちが世界を回っている

 

その中にもまた価値のあるものとないものがあるんだよなぁ

 

こんなこと書いてるとたまに物売り物つくりのジレンマがやってくる

 

こんなに物で溢れてるのにまだ必要なの?作る意味あるの?

 

あると信じてる

 

過剰な供給や記号(ブランド)消費には興味がないけど

 

一つの服が日常を変えるように器だって食卓を変える原体験を信じてる

 

それって自己正当化だろう!!

 

そう言われると今の世の中の大半の製造、小売販売に携わる仕事がなくなるのも事実っすよね

 

知性のある消費って何だろうね

 

経済って何なのかな

 

これを子どもになんて説明しよう

 

誰かが勝手にやってくれるからそんなの気にしなくていいよ!の人任せでは何にも変わらない

 

わからないから考え続ける

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす

 

欲望を刺激するトレンドというサイクル

 

そもそも乗っからないっていうのは大事なこと

 

その輪の外で自分たちの数寄と価値観の提案

 

そこを模索し続ける

 

いやぁ正直難しいっす

 

大きく考えれば考えるほど沼ですね

 

一斉にパチンと「はいっ!みんな変わりました!」となればいいけど

 

そうはできないから今自分にできることをやるだけ

 

目を背けず考えながら今日もコツコツと手を動かす

 

最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono