脳科学と心理学と心の師匠メンターについて

 

 

二日間の定休日を経て心身ともにリラックス

 

休むこと大事ですよね

 

脳科学と心理学を学ぶと自分や人の思考パターンというのが見えてくる

 

これをどう使うかが鍵になってくる

 

脳は楽な方を選ぶのが基本スペックとあれば単純に難しい方を選べば良いのであって

 

ネガティブな人の特徴とポイントがあるのであればその逆をすればポジティブということになる

 

いたってシンプルなのです

 

それをやらないのも人間なのです

 

いつでもやり始められるのもまた人間なのです

 

やらない理由をいくつも考えて並べるより

 

とにかくやりゃいいじゃん

 

やってみないとわからないよ〜

 

このやらない理由をいくつも連ねてしまうのが脳内ハック状態であり思考重心なのです

 

言い訳がうまい人っていませんか?

 

言い訳も上手くなるのは考えているから考えてないよりはいいんですけど

 

それより潔く失敗を認めて次に改善することの方がよくないですか?

 

ここで大事なポイント

 

行動を伴った思考こそが肝心です

 

とにかくいけーと何も考えずにやるのも無謀で

 

どうすれば自分の持ってる手札を最大限に効果を引き出すことが出来るのかを考えるのです

 

自分の中に自分の司令塔や軍師を持つ

 

その司令塔の指示によって自分を動かす

 

行動を続けていればそれが経験となり

 

経験値をベースに思考を発展させることが出来る

 

ここで陥りやすいのが成功体験に基づいた考えを続けてしまうことにあって

 

状況によって柔軟に対応出来るかが鍵となる

 

改めて脳は常に楽な方を選ぶ

 

だから脳に負荷をかけてやるという点からも目的というのは大きければ大きい方が良いのです

 

心理学では自己能力の自己評価のことを自己効力感(エフィカシー)と言います

 

他人からのコーチングよりも自分で自分をコーチングしてやれるようになれば強いですよ

 

精度を高めていく

 

毎日の練習で弓の的の中心を射る

 

そんな状況に自分を持っていく

 

止まった状態で的の中心を射る確率が90パーセントくらいになれば

 

次は馬に乗ってだとどうだろうか?とより厳しいシチュエーションに自分を追い込んでみる

 

それが流鏑馬(やぶさめ)に繋がっていく

 

まずは馬に乗る技術が必要になってくるし

 

馬に乗りつつ弓を引くことが出来るだろうか

 

その際の的を射る確率はどうだろうか

 

これをそれぞれ個人の仕事や私生活に置き換えてみると面白い

 

流鏑馬理論とでも名付けてみましょう( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

技を研鑽し状況を追い込んでいく

 

すると脳を使うから脳みそにシワが刻み込まれていくのです

 

顔にもシワがある人って格好良くないですか?

 

しわくちゃの人間味溢れる達人のような爺ちゃんになりたいな

 

おおー好きなだけ持ってけ持ってけ!

 

今年は野菜作り過ぎちまったからなぁ

 

ん?!若い奴が金のことなんて気にすんな気にすんなぁ!!

 

それよりもおまえの成長が一番だろ

 

食いもんに困らなければ好きなこと出来っだろ?

 

また困ったらいつでも声かけてくれよ!

 

それが俺にとっての幸せだっ!!

 

はい脳内妄想モードに入ってました笑

 

お店をやる上でもこんなことを考えてる

 

売り上げ至上主義では決してないけれど

 

作り手の生活の為に売らなきゃなっていう覚悟ありますよ

 

こっちは生半可な思いでお店をやってるわけじゃないし

 

ゆるい気持ちで作品作ってるわけじゃない

 

そこだけは勘違いしないで欲しい

 

大局を見極めながら守りを固めつつ攻め続ける

 

現代の生き残りを掛けた上での兵法家

 

我が心の師匠 宮本武蔵 先生の残した教えをこの生身の人生を掛けて体現する

 

心から尊敬出来る心の師匠をいっぱい持った方がいいですよ!

 

この時この師匠だったらどう切り抜けていくかなと

 

山岡鉄舟先生ならどうしただろう?とか

 

レオナルドダヴィンチ先生ならどうだ?とか

 

それがいわゆるメンターと呼ばれるものだ

 

生き様の指導者

 

新約聖書でイエスが悪魔の誘惑を退ける

 

大食 傲慢 吝嗇(ケチ)

 

聖書が現すのも結局は欲を断ち徳を積む生き方せよってことだからね

 

経典もそうだしバガヴァットギーターもそうだし武士道もそうでしょ?

 

欲を断って徳を積み我を無くせば

 

か が みに映るのは

 

 

ピカーン

 

弥勒の世にようこそ

 

なんつって

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間です

 

火曜、水曜が休みだと木曜日がなんか月曜日な感じがする

 

今日も昨日より最高な一日を

 

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同じ宮若市に住む陶芸家 石原稔久さん @1480toshihisa の声掛けから始まった面白い試み 行為に対してお金の発生しない誰の為でもない展示でもないしイベントでもない大人の真剣な表現 大人が真剣に遊べばこんなに面白くなるんだよ そう解れば子どもたちの未来は確実に明るいと思う そんな取り組みに空間として関われて感謝です tsunagu ———— 花入を作る人がいて、花をいける人がいて、花を活けたい場所がある。 そんなシンプルな動機でこの話しは始まった。 Pauseの友美さんが福岡 宮若の里山を歩き、採取した野草を 翌日うつしきにて活ける。 展覧会でもイベントでもなく、でも真剣にそれぞれが何かと向き合った2日間の記録。 花 : 吉原友美 @pause_story_ 花入:石原稔久 @1480toshihisa 撮影 :本浪隆弘 @takahiromoto 世界が行為に価値を与えてから随分の時間が経つ。 It has been a long time since the world gave the value to action. InstagramやYouTubeや多くのソーシャルネットワークは行為に価値を付与していくものに他ならない。 All the social networking services such as Instagram, YouTube, and others, are nothing else other than just giving the value to action. そしてそれは個人の視点がいかに発見に満ちているかを示した。 And it has proven the fact that an individual’s perspective is full of discoveries. これからの世界ではその視点、その行為がそのものが表現となる。 This perspective or action itself can be an expression in the future world. 例えばここに、花入れを作る人がいて、花を活ける人がいて、花をいけたい場所がある。 For instance, there is someone who makes a vase and there is someone who arranges flowers in a vase and also wants to have a specific place for arranging flowers. そして、それを記録したい人がいる。 And there is someone who wants to record its moment. なにからも制約されず、そこに花を活けたいという衝動に従う。 This action naturally occurs when someone has an urge to arrange flowers without any restrictions. 私達はつながる。様々な分野の様々な人々と。 We are connected. We are connected with various individuals in different fields. 私達はこの行為の価値にtsunaguという名を与えた。 From now on, I have decided to name this value of action as “tsunagu”. Producer & flower base : Toshihisa Ishihara Flower : Tomomi Yoshihara (pause) Cam+Edit : Takahiro Motonami special thanks : utusiki translate ryotaro takahashi @pause_story_ @takahiromoto

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yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono