身体知性と型の重要性から足るを知るを学ぶ

 

身体知性にみる心と身体の関係性を考えてみる

 

メタ認知ってあるじゃないですか

 

メタ思考という考え方について考えてみる

 

自分を客観的にみる自分

 

鳥瞰図視点=第三の眼とこの間書きました

 

第三の眼の消失とはメタ認知視点の消失に繋がるよ〜

 

どの規模感で捉えるか

 

その規模感を広げれば広げる程見える景色が大きく変わっていく

 

まずは学校や会社組織などで考えてみて

 

そこから村や町や市、県、国と発展させてみる

 

ここで大事なのは相手の立場にどれだけ立って考えられるかってところが大事なポイント

 

この相手の立場になって考えられる人が減ってきたのが現代社会

 

これが資本主義に隠された個人戦のワナなんです

 

自分さえよければそれで良いって考えどう思いますか?

 

欲望はキリがない

 

上には上がいてもっともっともっとと富める者がお金を手にする縮図がナウでしょ?

 

この螺旋に乗らない為にも足るを知ること

 

じゃあ足るを知るにはどうすればいいのか?

 

ここに今身体知性の重要性を説いてみたい

 

このブログでも事あるごとに身体重要ですよと書いているのですが

 

身体の知覚って脳で覚える何倍も賢いんです

 

熟練の手練れた陶工なんかは頭で考えずに手の感覚でいい形をポンポン作っていく

 

ここに思考のプロセスが入っているかは本人以外解らない

 

例えばイチロー選手

 

バッターボックスに入る前に必ず一連の動作をして挑む

 

武道でいう型を野球で体現しているのです

 

頭で余計なことを考えずに目の前のことと向き合う為の型であって

 

将棋の羽生さんとかも対局の前は必ず同じルートで会場まで向かうと読んだことがある

 

それぞれの型を作るのがまずは大事で

 

先人たちはこの型を持つ重要性を説いている

 

ここは戦国時代

 

命がかかる場面で余計なこと考えてたら一発でアウト!

 

それを現代では軽視されているのが見受けられるのです

 

型もないのに守破離は生まれません

 

カルチャーの成り立ちもそうじゃないですか?

 

パンクといえばを考えればみんな大体同じ装いを想像出来るはず

 

ヒップホップもそうだしレゲエもそうでしょ?

 

まずは型の体得が必要なのがここでも納得できるはず

 

逆に型がないと文化になりにくいとも言えるのです

 

でね、身体が整い研鑽を積み重ねていくことで身体知性が磨かれていきそこから型が生じるのではないかと今自分を使って実験中

 

作品制作もお店もこれぞ自分と言える型が出来れば強いっしょ

 

誰からみてもあれはONOの作品だよねとか

 

あれは うつしき っぽいよねとか

 

まずは ぽい というところからで良くてそこが第一歩

 

ファッションなんかは解りやすくそこを体現してる

 

その人を一発で表してくれるから面白い

 

ここで身なりの重要性が現れる

 

この身なりも姿勢が肝心なのです

 

服に着られているような人も為に見受けられますよね

 

その等身大の自分をどう本人が捉えているか

 

解りやすいブランドもののバッグを持っている人の心理

 

これはブランドの持つ力を利用しているパターンで

 

ある程度の値段もわかるしステイタスを示せる

 

これがブランドの信用創造

 

これをブランド側は利用しているのがロゴを前面に押し出したデザインだったりするのです

 

でもブランドでその人の品格までは買えないでしょ?

 

ここを勘違いしてる人が多いんです

 

品は滲み出てなんぼのもん

 

と言いながら品のかけらもなく

 

どか食いが一番うまいと思ってしまうyasuhide onoです笑

 

場末の赤ちょうちん居酒屋で煮込みとなみなみと注がれた日本酒で大満足できる性分

 

お金かからなくていいもんす♪( ´▽`)

 

これがブランド思考だと恵比寿のジョエル ロブションとかになるでしょ?!

 

まあ一度は一流と呼ばれるものを体験する為に行ってみたいですけどね

 

行ったら行ったでテーブルマナーなんかにあたふたしそう((((;゚Д゚)))))))

 

まあ節度を持った生活が自分を知り

 

それが結果足るを知るに繋がるのではないでしょうか

 

無理やりまとめてみました

 

そんなこんなで今日も子どもたちを起こす時間となりました

 

映像編集の確認やらインタビューの確認やら

 

草取りやら制作の一日です

 

それが楽しいと心から思えるからいいのです

 

バガボンドに出てくる沢庵宗彭の不動智神妙録はマストで読むべし!

 

こころを四方八方に自由に動かしながら一つの物一つの事には決してとらわれない事が不動智

 

さあ昨日とは違う一日の始まりだ〜

 

最高の一日を(^-^)v

 

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同じ宮若市に住む陶芸家 石原稔久さん @1480toshihisa の声掛けから始まった面白い試み 行為に対してお金の発生しない誰の為でもない展示でもないしイベントでもない大人の真剣な表現 大人が真剣に遊べばこんなに面白くなるんだよ そう解れば子どもたちの未来は確実に明るいと思う そんな取り組みに空間として関われて感謝です tsunagu ———— 花入を作る人がいて、花をいける人がいて、花を活けたい場所がある。 そんなシンプルな動機でこの話しは始まった。 Pauseの友美さんが福岡 宮若の里山を歩き、採取した野草を 翌日うつしきにて活ける。 展覧会でもイベントでもなく、でも真剣にそれぞれが何かと向き合った2日間の記録。 花 : 吉原友美 @pause_story_ 花入:石原稔久 @1480toshihisa 撮影 :本浪隆弘 @takahiromoto 世界が行為に価値を与えてから随分の時間が経つ。 It has been a long time since the world gave the value to action. InstagramやYouTubeや多くのソーシャルネットワークは行為に価値を付与していくものに他ならない。 All the social networking services such as Instagram, YouTube, and others, are nothing else other than just giving the value to action. そしてそれは個人の視点がいかに発見に満ちているかを示した。 And it has proven the fact that an individual’s perspective is full of discoveries. これからの世界ではその視点、その行為がそのものが表現となる。 This perspective or action itself can be an expression in the future world. 例えばここに、花入れを作る人がいて、花を活ける人がいて、花をいけたい場所がある。 For instance, there is someone who makes a vase and there is someone who arranges flowers in a vase and also wants to have a specific place for arranging flowers. そして、それを記録したい人がいる。 And there is someone who wants to record its moment. なにからも制約されず、そこに花を活けたいという衝動に従う。 This action naturally occurs when someone has an urge to arrange flowers without any restrictions. 私達はつながる。様々な分野の様々な人々と。 We are connected. We are connected with various individuals in different fields. 私達はこの行為の価値にtsunaguという名を与えた。 From now on, I have decided to name this value of action as “tsunagu”. Producer & flower base : Toshihisa Ishihara Flower : Tomomi Yoshihara (pause) Cam+Edit : Takahiro Motonami special thanks : utusiki translate ryotaro takahashi @pause_story_ @takahiromoto

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yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono