自分と自由という言葉の考察

 

心地良さの違いや大事にしているものことの違い

 

ここに誰かの正しさでは決して判断出来ない個々人の違いというのがある

 

その違いをどっちが正しいという願望ジャッジメントフィルターで観てしまうと思考はおかしな方向に進んでしまう

 

自分軸(自立している人と書くのがわかりやすいかな)で生きていると他人のことが全く気にならなくなる

 

他人軸で生きている人は自分軸で生きている人といると少し疲れてしまうこともあるだろう

 

みんながみんな自分軸で生きるとどうなるか?

 

ここに依存のない関係性が出来ると思う

 

依存のない関係は楽だよね

 

でも自分を前面に出し過ぎている人もたまにいて

 

そういう人は周りが見えてないからやりにくい

 

自分軸とは違う客観視(メタ認知)出来るかどうか

 

自分に入り込みすぎるとこの客観視が出来なくなってしまうことがあって

 

これがまたこだわりに繋がることになるから難しい

 

入り込みつつも遠ざかる感覚

 

変な話最終的に形になった時にはそれは自分の作品でなくても良い

 

自分らしさって果たしてなんでしょう?

 

その人のお店らしさとは?

 

その人らしい料理とは?

 

自分らしいという言葉

 

結局その人が作ったものはその人そのもの

 

じゃあ、なんで自分らしいにこだわるのか?

 

それはもう不安だからとしか言いようがない

 

自分というこだわり

 

これは果たして必要なのか?

 

やっぱり今の自分なりの結論はいらないかな

 

作ったものに対する責任だけあれば充分

 

責任なかったらそりゃ駄目だけどね

 

みんながみんな自分に照準をあてる教育が自由主義を生んだ

 

自分と自由

 

自分を一人称で捉えるのではなく二人称で捉える自分という使い方

 

自分であって自分でない

 

もうここまでくると言葉遊びだよね

 

自らを分けると自分となる

 

やっぱ分けて考えないとだよなぁ

 

考えているのも自分だし行動しているのも自分なんだもん

 

心の声と頭の声

 

頭の声ってなかなか強いですからね

 

常に自分の中に自分を見つめる眼を持つ

 

じゃあ自由について考えてみる

 

由という漢字の意味

 

基づく。経る。従う。手本とする。

なお。より(助字)

理由。方法

木の切り株から生えた芽。ひこばえ

伝え聞いたことを示す言葉。

この辺を踏まえて自由を考える

 

自ら基づき従い経る

 

ここからもやっぱり型(輪郭)のない自由なんて存在しないんじゃない

 

それは俺は自由だーっていう言葉は無意味ということの立証にも繋がる

 

近年は自由という意味の履き違えであり誤読であった

 

これを踏まえれば少しは生きやすくもなるのかな

 

子どもに対する教育でも自由なんてあるようでないとちゃんと教えてあげられる

 

物事の道理

 

筋道を立て秩序を保つ

 

秩序ない世界はただのカオス

 

カオスの中に秩序を見出しそれを編集しキュレーションかけ続けるのが人生の作業

 

こう文章で書くと随分と機械的なんだけどでも作業としてはそうなんだよなぁ

 

知らないことを知らないで済ませられる人もいるし

 

知らないのが気持ち悪いという人もいる

 

知らないのが気持ち悪いと思う人を増やすのが本来の学校(学び舎)の役割

 

だけど詰め込み教育によって暗記、暗記、暗記、、、

 

ここに考えるということをやめさせてしまう学校教育というのがある

 

テストの点数なんて正直どうでも良くて

 

インターネットが普及したおかげでhow toを知るのは容易になった

 

だけどwhatやwhyという疑問から考察することが少なくなってしまったのが現状

 

なんで空が青いのか?という子どもの頃みんな思った素朴な疑問

 

今ではインターネットってどんな仕組みで出来てるの?

 

wifiってどんな原理?

 

と普段から使っているはずなのに知らないと説明出来ない物事がた〜くさんある

 

昨日の二週間ぶりの合氣道の時間でボディマッピングの話があって

 

呼吸法の中での腹式呼吸と胸式呼吸

 

肺の位置ってどの辺まであるか正確にわかりますか?

 

昨日みんなでやってみたら全員解らなかった_φ( ̄ー ̄ )

 

上は鎖骨よりちょっと上くらいまであるって知ってましたか?

 

ほんと自分の身体のことなのになーんにも知らない

 

呼吸一つとっても日常で意識すらしていない

 

もっと身体のこと知らないと

 

知らないことがどんどん出てくるのってありがたい

 

今日も学び続けよう

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間となりました!

 

今日は週の始まりの月曜日

 

今週末には展示も控えてるし制作も佳境に迫ってきた

 

色々と控えてることが山盛り

 

映像取材チームの小田と義明は昨夜から京都入り

 

今月23日から始まる陶芸家 清水志郎さんの展示に向けての撮影です

 

志郎さんの器最高に格好良いんで楽しみだなぁ^^

 

映像は仕上がり次第うつしきyoutubeチャンネルにて随時配信していきます

 

そちらも是非チェックしてみてくださいね

 

それでは最高な週の始まりを

 

 

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open 13 – 18 やわらかな朝の光が差し込む喫茶室 この空間をもっと有効的に使いたいのだが今は展示の際の催しとオンライン撮影の場としての活用のみだ 月に数回大人の学び場と子どもの学び場として活用してみようかななんて企む日曜の朝 早朝にも関わらずオンラインでの @yasuhide_ono の作品を求めて頂きありがとうございます 本日23時59分までの掲載となりますのでご縁のある方は覗いてみてくださいね うつしきyoutubeチャンネルでの展示ハイライト動画の更新は午前中には完了です 更新後ストーリーでご案内するのでこちらも是非観てみてください 展示の温度や空気感が少しでも伝われば嬉しいです 今日は合気道の日であり満月🌝 晴天の宮若市 まんまるな一日を◯

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yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

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