感覚の欠損=必ずしもマイナスではない

 

 

昨日より少し和らいだ首肩の痛み

 

それでも違和感や痛みがあるって集中できなくてなかなか困るものですね

 

待ちに待った井上雄彦リアル15巻

 

井上先生の描く人間ドラマにはいつも心を揺り動かされる

 

人生に折り合いをつけてしまうと悔しさがどんどん無くなっていく

 

挫折してもまた立ち上がれるかどうか

 

自分にはない圧倒的な才能を目の当たりにした時にそれでも続けられるかどうか

 

生きてれば壁にぶち当たる時がくる

 

壁を回避し続ける人生というのもあるかもしれない

 

でも逃げるにしても壁は変わらずあるわけで

 

どんな形であれ向き合わないといけない

 

登るのがいいか穴を開けるのがいいのか

 

材質を調べてみたり低くなってるところないかなと探ってみる

 

案外下を掘って潜り抜けるのはどうだろうか

 

などなど

 

方法はいくらでもある

 

正攻法の一点突破はそりゃ魅力的だけど

 

しがみつくことによって考えたり耐えることによって打たれ強くなったりする

 

面白いよなぁ

 

人の心を揺さぶる作品や物語

 

誰しもが持ってる感情

 

普遍的とも言えるのかな

 

ん?ちょっと待った

 

これは一個人の感想だ

 

もしかしたら響かない人だっているかもしれない

 

でも読んで何も感じない人もいるのかな?

 

大好きなバガボンド

 

僕の周りは結構好きな人が多くてよく話をする

 

自分をキャラクターに投影した時に誰が近いだろうか

 

目線も登場人物のそれぞれの立場から考えうるから投影の仕方も様々だ

 

この時武蔵だったら沢庵だったら又八だったらどんな選択をとるのか

 

自分の日常に置き換えてみるのだ

 

この人はここで立ち止まらないだろうとか

 

この厳しい方を選ぶだろうとかね

 

先日、目の見えない人は世界をどうみているのか という本を読んだのだが

 

人間は視覚情報にほとんど頼って生きている

 

目の見えない人が感知する世界ってどんなだろうと思い

 

欠如することによって別の感覚器官が発達する

 

空間把握能力や匂いや聞こえない音だったり味覚も繊細でとても敏感だったりする

 

欠如=マイナスという認識だけでいる場合だとそこまで考えが及ばない

 

けど逆説的に引くことによって特殊能力が開花することもあるのだ

 

その人ならではの世界が確立する

 

自分の実体験として蹲踞姿勢の時に目をつぶると超グラグラして普段どれだけ視覚に頼り切って生きてるんだろうと思わされた

 

身体に全てを委ねることって非常に難しい

 

眼に映るものだけが全てではないはずなのに眼に頼りすぎている

 

目、耳、鼻、口、触覚の感度を高める

 

目を閉じて米を100回噛めば米の奥行きを存分に感じることができるというのは誰でも日常からできること

 

なんてことない日常から感覚値の繊細なエレガントを目指す

 

多くを語らず背中で語る領域

 

ここに言葉はいらない

 

歳を重ねるとまずは背中の肉つきが変わってくる

 

これを放置してしまうと全体がゆるゆるしてしまう

 

逆説的だが背中がシュッとすると全体もシュッとする

 

能も武道も茶も日本の伝統芸能と呼ばれるものは姿勢と所作が大切

 

着物を着て猫背だと様にならないように大事なのは姿勢っすよね

 

精神疾患のほとんどが姿勢で解決するとも言われている

 

でも現代はパソコンやスマホを使う機会が多くて首が前にでる姿勢がほとんどだから大変

 

自分自身で自覚を持って意識しないとね

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす

 

流されるという感覚もそこに意志があれば流れに乗っているとも言える

 

じゃあ立場によって見える景色は変わってくるから人のことより自分のことに集中しないと

 

自分より人のことの方がよく見えちゃうもんですよね

 

それでも誰のでもなく自分の人生だ

 

しっかり集中しよう

 

Center for COSMIC WONDERでの展示まであと三日

 

手を動かすぞぉ

 

今日も最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono