言語=線だとすれば言語マトリックス以前の融和な世界を目指したい

 

 

作品と什器を無事送り出し

 

展示前々日の一仕事を無事終える

 

久しぶりの東京だなぁ

 

テレビやニュースでは見えてこないこと

 

今はどんな空気感なのだろうか

 

人体構造の中の目について考えてみる

 

目というのは構造上自分自身を見ることより外側を見るためについている

 

だから自分より他人のことの方がよく見えてしまうから自分のことを棚上げしてしまい他人のことが気になる

 

ここに現代における比較というある種の病が生まれてしまう

 

昔はいろんなことが見えなかったですからね

 

SNSとかでみんなの服や食べたものや家の中なんかが見えるようになってそれがまた比較欲を掻き立ててしまう

 

適度な向上心だったりライバルとの比較はいいだろうけどなんかそれが行き過ぎてる気がするんですよね

 

一番集中しなきゃいけないのは自分自身の目の前にであって

 

そこで自分を戒めよと鏡が神社に祀ってある

 

か が み の中の我を抜きなさい

 

みんな本来生まれながらにして神なんだよ

 

でも自分自分と我が先にと欲にまみれて生きてると狭い個人戦の世界の方に向かってしまう

 

目が外を見るためについているのは本来困ってる人なんかを助けるためにあって

 

支え合ってこその「 人 」という文字が成り立っている

 

語源ってうつくしいですよね

 

瞑想中なんか半眼していると境がなくなっていく感覚というのがある

 

輪郭がぼやけていく感じとでもいいますか

 

目が悪い人ならメガネやコンタクトを外して見る景色

 

それを見るとやっぱり世界は量子でできているんだなと思わされるんですよね

 

見えない粒と波の世界

 

立ち戻って考えるとみんな解りたいから輪郭をはっきりさせたい

 

だから言語が生まれた

 

言語によってそのものと言葉が像として結びつくようになった

 

言葉によって輪郭をはっきりしたとも言える

 

ここから小野の仮説

 

言語の制定によって人は粒ではなく線で物事を捉えるようになった

 

土地、領土、領分、単位、数etc

 

脳内に共通言語というグリッドの線を作りその網目を細かくマクロで捉えていく

 

自分の身近な例で考えてみると

 

ファッションとアートと工芸と民藝

 

ロックとハードコアとメロコアとパンク

 

伝わるか解らないけどこの線引きをはっきりさせたい人が多過ぎるという感じかなぁ

 

じゃああなたの表現はアート寄りの工芸ねとか

 

それをまた細分化していき、なになに派がどんどん生まれていく

 

ん〜じゃあこの先表現が言葉という線引きによって縛られていかないかなぁ

 

そしたらどんどん狭い世界にいく気がするんですよね

 

言語マトリックスの世界って正直あまり面白そうじゃないしそそられない

 

解らないものに対してスタンスを求められるのは解るけど自分たちの活動まで以前以後とかの狭い括りで縛らないで欲しいというのが本音っすね

 

どちらかというと融和と越境にこそ未来があると思っているので線を引くことで生じてしまう上下左右を曖昧にしたい

 

線より粒で捉えた方がより細かいと思うんですけどね

 

おっと身近な例えになりすぎてしまった。汗

 

言語(線)の成立によってそこからはもう言語で人を縛るようになり言葉を上手に扱う人がルールを決める世界っていうのがこの人類史の一つ

 

だから制度を決めてきたお偉いさんたちが言葉酔いをして難しい言葉で民を煙に巻くように誘導してきた

 

じゃあ立ち戻るは言葉以前の世界であり線より粒の世界じゃないのかというのは極論だけど考える価値はありそうなんで今後もう少し掘り続けてみようと思います

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間より少し早め

 

これからパッキングして風呂入って子どもたちの支度をして空港向かいまーす

 

いよいよ明日からCenter for COSMIC WONDERでの展示が始まります

 

忘れ物ないかなぁと出発直前のいつものドタバタは今日も変わらないでしょう

 

それでは今日も最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono