正義を疑え!!スコトーマ(心理的盲点)とトロッコ理論
自然の理
自然について追求する毎日
自然ってなんだろうか?
自然の反対は人工であって人工の点から考えてみると自然が浮かび上がってくる
都市というのは人工の極みのようなもので都市部にいると土を踏む機会すら全然ない
公園とかも水はけを重視して人の手が加わった土を用いてることからこれは自然と言えるのか?
全てがアスファルトに覆われていてビルが樹々のように生えている
なるほど
人は無意識のうちに植物の生態系を真似ているのだな
そこも相似形として深層意識に繋がっている
自然をコントロールすることはできない
だけど自然すらコントロールしたいと思う人間が一方でいる
だからコントロールできる自然(人工都市)を作る必要があったんだろうか
目に見えないものを徹底的に排除する
ダムを作り川の流れを変えたり護岸工事によって洪水が減ると言ってもそもそも何もしなかったらどうだったのかな?
みんなの働いたお金を徴収し税金としてそこに投入する
それでもそこで仕事を作り雇用を生み出してるんだ!!という声もあるだろう
その分しなくてもいい仕事が増えたとも言えるし
この辺を考えると自分の信じる正義を振りかざしたくなってしまうから嫌っすね
自分の好きなものを否定されるとムカつく感情が生まれるように
自分の信じてるものを否定されるとなんでだよっ!と怒りが生まれてしまう
自己正当バイアスって恐ろしいくらいに強いもの
自分の立場での判断と全体の中での判断というのがある
トロッコ理論を今一度考える必要がある
トロッコにあなたが乗っていて二股の分岐に差し掛かる
右に行けば自分の子ども(親や大切な人に置き換えてみて)がいて左に行けば30人の人たちがいる
どちらかを選ぶ二択の局面自分の判断でどちらかが轢かれてしまう
その状況下であなたならどっちを助けることを選びますか?
答えようもない問題こそが今の社会を推し進めている
人の持つ性質の一つとしてスコトーマ(心理的盲点)がある
人は自分以外のことはよく見える
だから誰かの行動に対してそれ違うよ!とかの正義感が働いてしまう
自分の持論や倫理観、道徳観といった偏った正義
そのやり方違うよねとか人のやることに口出しするという自分を高い位置(いわゆる神の視点)に置いて物事をみてしまいがちなんですよね←これはみんな当てはまるし自分にも戒めとして書き残す
人のことに口出しする前に自分はどうなんだという矢印を自分に向けて問い直す
人のフリ見て我がフリ直す
それを実践すれば全ての出来事が先生となる
目というのは外を向くために付いていて鏡でもなければ自分をみることはできない
だからこそ自分にこそ目を向けなければ←もちろん外見の話じゃなくて内面や行動の話っす
立ち戻って考えることとしてそもそも人類は発展してきたのか?
ファクトフルネスの数字でみると確かに発展しているようには見える
でもその数字と現実世界の間をみると疑問も湧き出てくる
病院の数は増えたのに病人は増えていく
あらゆることに病名がつき昔はそんなの病気でもなーんでもないのに病気を申告されるおかしな世界
不安を煽るマスメディア
比較を促すSNS
ほんと周りは外に意識を向けるものばかり
だからこそ意識してテレビを消してスマホから離れればもっと気楽になると思うんすよね
あくせく働いてるのは一体なんの為なのか
そうはいっても生活があるし老後が子どもの教育費がぁという現実的な話もある
でもそんな不安を考えればいくらでも考えられるから保険というのが生まれた背景がある
じゃあ100パーセントこっちの道に行けば安全ですよと言われた道って本当に楽しいのかな?
何を選ぶかがここにもある
自分の心に忠実にある
その心の声に従うのって最初は怖いけどその声を信じてやると動き出すのは確かなこと
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
何様だよお前っ!!っていうツッコミを自分自身に課しながら日々を生きとります(-.-;)y-~~~
上に上がることを押し付けられる社会の中で喜んで下にいきます
点数で判断されるなんて俺にはいらんす
押し付けのない世界は楽っすよ
率先してバカにされ続けたいと思う所存です!
今日は今年初のうつしき合気道部の稽古で明日
楽しみ楽しみ
日曜日ってことで怪獣たち勢揃い
仲良くやりましょうねd( ̄  ̄)
最高な一日を