日常を壮大な劇として自分をその中の演者の一人として考えてみる
風が強い小雪ぱらつく冷え込む朝
といっても同じ日本でも世界のどこかでもこれを読む人の住み場所によってその状況も全然違う
気候も天変地異なんかも体験したことがなければ解らないことともいえる
でも人には創造力がある
この力によって相手の立場や状況を思いやることができる
自分に被害がなければ関係ない
その考えって寂しいですよね
遠く離れた戦争も貧困も飢えも重労働も自分が当事者じゃなければ関係ない
今さえ良ければ自分さえ良ければ自分の周りさえ良ければ
本当にそうなのか?
おっと、朝からなんか重い方向に行くとこだった。汗
その現実を直視した上で自分には何ができるのか?
自分一人では変えることのできない大きな問題に対して自分はどうあるべきか?
できることは何かしらあると思っている
文章だって写真だって歌うことだって作ることだって料理することだって全ては表現として作品になる
悲しみも喜びも作品として昇華することができる
表現方法にも色々あって人を傷つける表現は名を変えた暴力となんら変わらない
人を救う表現だってある
この地球の人間社会をある種の演劇と考えてみる
人は皆それぞれ自分劇の役割を演じている
その物語は自分がどうなりたいかの思考が現実化する
こういう伝え方や言い回しの方が伝わりそうとか言葉の抑揚や感情によっても響き方は大きく変わってくる
それを毎日毎秒毎瞬演じているともいえる
自分とは?なんてわからない
滅私
場を回す潤滑油のようにありたい
人からどう思われようなんて気にする必要ない
人は人、自分は自分
自己肯定感高めて自分はスゴイと思うより極端な話自分なんてウンコだと思いながら生きる方が楽だし俺はそっちを選ぶ
でも世の中は自分がどれだけスゴイかアピールの世界戦
肩書き重視社会
うつしきCEO 兼 装身具作家 yasuhide ono
やめてくれ〜(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
恥ずかしいったらありゃしない
みんな誰しもが自分のこうであって欲しい相手像でその人を見てしまう
この人は絶対そんなことしないというそれすらある種の偏見
俺の何を知っている?
そして俺はあなたの何を知っているのか?
その相手のことを知ってると思い込んでることのズレが今の社会を形成している
じゃあ今、菅首相の腹の底から考えてることなんて政治家でもない一国民になんて解んないでしょ?
みんな自分のこうあって欲しいという願望フィルターが掛かった色眼鏡をかけて世界を見ている
ここで動き方を変えてみる
政治に対して期待しないようになって自分で独立国家を作ろうと思ってみる←言い方は極端だけどソフトなコミュニティの話ね
村上龍氏の小説「希望の国のエクソダス」的な感じや坂口恭平氏の「独立国家の作り方」は参考になる
南インドのオーロヴィルのようなエコヴィレッジやパーマカルチャーを実践しているコミュニティは探せば世界でも沢山ある
ここでもそれが良いとか悪いとかの二元論だけの狭い話じゃない
そういう選択肢もあるんだよっていう提案です
色々な社会があると知れば視野が広がる
あとは自分の帰属意識をどこに置くのかの問題
移民問題や宗教の信仰もこの帰属意識が大いに関係してくると言えるだろう
一番大きなところで地球市民っていうことが根っこの部分で共有できれば肌の違いも信仰の違いも宗教も許容できるんじゃないかな
それを小さい単位、国の違いだったりで縛ってしまうから脳内にグリッドの網の目を貼ってしまうことになる
その脳内グリッドの外に出て考え直してみる
世の中の大半の問題は偏見と誤解から生じることなんだろうなぁ
誰も争いを好む人なんていない
軍産複合体の利権屋たちやグローバル企業家はお金儲けの為に争いを好んでるかもだけどね
人を人と思えない社会だけは嫌なんす
人の生き死にを考えるときに数字で考えるんじゃなくその人の過ごした日常で思うと臨場感を持って考えられる
小説や物語はその辺の創造力を豊かにしてくれるから大事ですよね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
今日も昨日に引き続き音楽家 太田美帆さんのレコーディングです
昨日の寒い中、山と川での撮影を終えかなり良い感じのPVに仕上がりそうで今から楽しみです
カメラを向けられた時の動きや表情を自分がすることを考えると心から演者はスゴイと思えるんですよね
完成までを楽しみにして頂ければと思う所存です
さあコツコツ手を動かしてまいりましょう
最高な一日を