構成学 侘び寂び バウハウス アーミッシュまで

 

昨日は息子のダンスの発表会

 

ダンスとは今まで縁のなかった自分

 

音楽に合わせて身体を自由に動かす

 

幼稚園クラスから小学校低学年、中学年、高学年と中学生クラスと

 

年齢が上がるにつれて必然と踊りのレベルも上がっていく

 

その中でも踊りのうまい子って目がその子に照準される

 

身体があんなに自由にのびのびと動くのって羨ましい

 

一度身体で覚えるとなかなか忘れにくいというのも利点の一つ

 

うまいから華があるのかな

 

じゃあ、華があるってなんだろう

 

その人がいるだけで空間がばぁっと明るくなる存在?

 

いつも会話の中心になる存在?

 

なんかどっちとも違うな

 

見せかけの華ってのも沢山ある

 

技術的に秀でてることって華がある一つの目安なのかな

 

同じ人の作る作品の中でも展示の目玉になるような華のある作品があるとする

 

全てその人の手から産み出されているはずなのに

 

それでもその差はなんなのだろう

 

乗ってる時の気分のムラとかもあるのかな

 

でもそのムラを極力無くすことがいいのか

 

それとも乗っている状態をいつでも引き出せるようにするのがいいのか

 

そのどちらも大事なのか

 

一種の儀式のような同じルーティーンの中でバッターボックスに挑むイチロー選手

 

それは気分のムラを無くすことでもあり自分の最大限をだすことにも繋がる

 

そもそも両方を切り離して考えてはいけないのか

 

色々な環境に左右されるのはみんな一緒

 

うーむ面白い

 

最近構成学について学んでいるのだが非常に興味深い

 

 

構成学(ゲシュタルト)

 

造形基礎言語として 形 色 材料 テクスチャ + テクノロジーに分類され

 

現代美術からデザインの全てが内包されている

 

個人的に好きな侘び寂び、バウハウス、アーミッシュ、シェーカーなどに通づる共通点を探っていて

 

簡素であり質素であり素朴であること

 

アーミッシュとシェーカーは宗教も絡んでくるのだが生き方として素朴であり美しい

 

線の捉え方や造形の秩序

 

美しいとはなんぞやを日々考えていく

 

美しいと思うものには人間のDNAレベルから読み解かないと説明がつかない

 

紋様、模様、原始パターン、黄金分割、等量分割、シンメトリーの造形

 

これらの要素が複合的に絡み合い美を構成する

 

複雑を簡素化し解りやすくするのが構成学とも言えるだろう

 

いいデザインとはこれらを用いればある種説明がつく

 

でも美しさってなんなんだろうと問いには未だ答えが出ない

 

理屈的じゃない部分の要素が多いんだよなぁ

 

でもその感覚の部分を言語化してやりたいという気持ちもある

 

感覚を言語化することによってマグレはなくなるからね

 

でも理屈っぽい奴にはなりたくない

 

もうちょっと情動的であり感覚的な部分というか

 

本能的に動けるのを一番大事にしたい

 

バウハウスがもし世界大戦が始まらずに

 

14年という短い期間で終わらないで今も発展し続けていった先にはどうなってたんだろう

 

芸術と技術の共生

 

それを更に高いレベル水準で繰り広げる

 

自分たちが引き継いで行けるのはこの部分

 

それをそれぞれの好みで発展させる

 

これは一生をかけた追求になるだろう

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間となりましたー

 

偶然性とも言える不確定要素が大事になってくる

 

今日明日は保育園も休みなのでかなり賑やかな我が家

 

子どもたちとの時間も大事にしなきゃね^^

 

メディアが複合的になりメディアアートが盛んになっている

 

一つの表現の追求からの横展開がやっぱ面白いんだよなぁ

 

表現に制限を持たせる必要性を今考えてみたい

 

ある種の制限からしか自由は生まれないのでは?と

 

頭の中は常にうるさいのです

 

それでも小賢しい小難しい小利口な人間にはなりたくない

 

吹っ切れた馬鹿になりたいぞ(๑╹ω╹๑ )

 

今日も最高な一日を

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono