違和感の言語化から互いの性質の違いを知る
想像と創造
偶然と必然
昨日この違いがスーッと腑に落ちる
変な話だが今まで偶然なんて無いんだと思って生きてきた
手相のジュンコさんと話してる時に
私たちは偶然チームで小野さんたちはカタチにするのが旨いタイプだからねという話を聞いたとき
正直その意味が全くと言ってもいいほど解らなかった
というのも自分の行動によって全て決めていく
その行動によって結ばれるご縁や瞬間って
その動きに対する結果=必然なわけで
昨日そのことが全然解らなかったという話を
佳王理と店長 小西と朝礼の時に話をすると
小西は偶然チームだったのでその偶然ということについて説明してくれて
彼女の場合なにかを決めて行動するというより
こうなればいいなぁと思って動いたことが何年か先に
カタチを結んでいてあのときのあれが結果こうなったという
それが偶然というか偶然という言葉だと説明がつきにくいんだけどという話
正直今までこうなりたいと思いそれに向かって行動するということしかしてこなかった自分にはいい意味で衝撃的でそんな考え方もあるんだ!!と目から鱗状態
相手との違いに対する違和感
自分には偶然アプリが今までこの人体という端末に入っていなかった
だからその偶然という認識に対して
わかる〜という共感が今までできなかった
人の思考の違いってほんと面白い
どっちがいいとか悪いとかの上下ではない
この人生は学びと経験の場所
それぞれの学び方や働き方によって深めていく
もちろんここにお金を稼ぎたいや楽したいという目的があるのなら話は別かもしれないが
人生の目的はその人次第なのだ
いっぱい寄り道をした結果深まることだって沢山あるだろうし
歩く速さや思考の速さだってみんな違うわけで
その中の心地良さや楽しいの追求こそが大切なのだ
自分は人生の地図みたいなものを描いていて
その解らない細部を調べたり行ってみたりして埋めていく
でも小西の場合暗闇の中を手探りで進んでいく方が性に合うし楽しいとのこと
面白いこの暗中模索という考え方
確かにそれはそれで楽しいかも!
それを想像と創造の違いでジュンコさんが表していたのも面白い
ジュンコさんはこの場所にいる自分を想像するのは簡単にできる
だけどこの場所を創造するのは他の人がやってくれる=偶然
撮影の時に僕は最終的な完成の映像が見えている
もちろん上に立つ立場として先導しないとみんな迷子になるからという責任があるから
むしろ自分が見えてないと困るということを佳王理に言われて
ここでもそういう違いもあるのねとなるほどとなる
ほんと人と自分の考え方にこんなにも違いがあるんだと言われないと解らない
想像したものを創造する
創り造る
カタチにするのが旨いタイプというのがすごく腑に落ちた瞬間
この想像と創造の違いと偶然と必然の違いをここまで意識して体感として納得したのも初めて
自分というフィルターやバイアス
みんな考え方や生き方が違っていい
とりあえず興味を持ったことをやってみる
違うなと思ったら引き返せばいいと思って生きてきた
小西の場合自分なりの筋道を立てて進んでいく
違うなって思った時にその引き返すのが苦手なんですよねという
この体感の違いも面白い
こんなに身近で働いてる仲間ですら思考と行動に違いがある
その違いを言語化したりコミュニケーションして埋めていく
そこで初めて見えてくることがあるのだ
と昨日はかなり実りのあるミーティングとなりました
人はこんなにも考え方も違うもの
ここにどっちが正しいとかなんて一切ない
深めていくことが同時に高めていくことに繋がるように
楽したいという考え方の人もいれば
苦労は買ってでもするという考え方の人もいる
前者と後者を分けるのではなく共存する世界
自分と違う考えってどこか排他的になることもあって
その白か黒かではなく
グラデーションこそが中庸であり
そのグラデーションの認識が相手を思いやるコミュニケーションにも繋がる
いやぁ勉強になりました
そんなこんなで子どもたちを起こす時間です
違いを楽しむ余裕や余白のスペースを持つこと
忙しいと余裕無くなっちゃいますからね
心にきちんと余裕持って今日もコツコツ手を動かす
最高な一日を