自然体でいることと童心を思い出すこと
小雪ぱらつく布団から出たくない朝
そんな日はなんといっても白湯が沁みわたる
どうすれば感覚器官を最大限に活用することができるのかなぁ?
内臓もたまには労ってやらないと働いてばっかだと辛いよね
感覚のエレガントというのを考える
感覚のエレガントを考えるときに余分な情報を排除して削ぎ落とすことによって感ずる感覚
お腹減ってもないのに三食食べるのが当たり前だからと習慣化しているとすれば
一度身体の声を聴いて減らした状態で味わうと身体も軽いし今までの過剰余剰に気づくきっかけになるかもしれない
目を閉じて食べる
視覚情報を排除して口の中の触覚と味覚で堪能すればそれだけでいつもの食事が大変身
手っ取り早く日常が変わる
エレガント(気品)を考えるときに感覚器官と運動器官の両方を無視できないと思っていて
運動は所作に繋がってくる
所作が美しい人と出くわすと自然とこちらも背が伸びる
それがその人の持つ気品に繋がってるんだろうなぁ
一朝夜で身に付くわけもないから日々の営みの意識の全てが現れる
こんなこと書きながらどちらかというと僕の中ではエレガントというより粋の世界に憧れて生きている
まあ言葉が変わるだけで通ずる部分はたくさんあるんですけどね
エレガントだとなんかくすぐったく感じるんですよね
野暮ったい世界にいるからずっと粋な世界への憧れというのはある
他人の決めた価値観に沿って生きるより自分の決めた価値観を堂々と闊歩するような人たち
今みんなどこかしら力が入っているように街を歩けば感じる
何かになりたいと向上心を持って競争の世界にいる
競争の世界にいると心身休まることがないからずっと身体のどこかが緊張してたり強張っている
一歩競争の世界から抜け出ると気持ちがめちゃ楽ですよ
そもそも競い合う必要なんてないですからね
誰かの価値観の上にいると競争が生まれるけどその価値観の軸を自分に持つと比較する必要すらない
力が抜けてどんどん柔らかくなっていく
そうなれば後は童心に戻って今やりたいの追求ができる
ようやく子どもと同じ目線になれるのだ
昨日は三月から始まる大人も子どもも学べる学び舎うつしきの企画の打ち合わせの為糸島の村上さん家族の元を訪れる
先導を切る佳王理さんがまいさんと打ち合わせの最中
僕はずっと子どもと遊んでいたのだが村上さんの家の外にある手作りコートでバレーやバドミントンをしたんだけど久しぶりにやると楽しいっすね
自分の身体の動かなさを痛感できて子どものように無尽蔵に動けるようになりたいと思ったもの
肩肘に力の抜けた自然体
自然体でいるのって難しいんですよね
子どもはみんな自然体だし何にでも好奇心を持っているから話していて面白い
童心と自然体に戻ることを心がけたいなぁ
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
じゃあ年を重ねる中で大事なことは子どもに戻っていくことなんだろうなぁ
何かに無理に当てはめなくていいしなろうとも思わなくていい
身体も違えば環境も違う
それぞれが体現する一人一流派を磨いていく
今日もコツコツ手を動かそう
最高な一日を