漫画から禅まで言葉から体感までの話
糸島に行って以来息子とバレーとバドミントンにハマった影響受けやすい小野家
久しぶりにやるとなかなか面白いものですね
レシーブ受けたりトスを上げたりと学校の昼休みや体育の時間を思い出す
今でもなんとなく身体は覚えてるものですね
精神性についてっていつ頃から考え出すんだろう
幼少期サッカーをやってた頃「シュート」という漫画があってそれ観たあとはモチベーションが上がっていた
「スラムダンク」で花道がバスケ上手くなりたいマジモードに入った時の安西先生とのジャンプシュートのマンツーマントレーニング
あのシーンなんかは身体に落とし込む重要性を示してくれる
今だと「ハイキュー!!」なんかはバレーをやる上でのスポ根魂を教えてくれる
漫画は教科書
キャラクターに自己投影しながら近づけようと向上する
上手くなりたいという気持ちから自主練習をする
ここでも親に言われてやるんじゃ続かなくて子ども自ら自発的にやるというのが続ける上で大事になる
コーチングって難しいですよね
どこを意識すれば上手くなるかは身体の動かし方を言語化しないといけない
元バレー部の佳王理さんのレシーブに対する息子に対してのコーチングで「腕で上げるんじゃなくて腕は固定して身体全体で上げるんだよ」との一言でレシーブ時の身体の動かし方を理解する息子
見て覚えるが昔堅気の武人、職人の教え方だったけど今はどうなんやろか?
そこに行くまでの段階というのがあるのかな
勘のいい子だとすぐ気づけるけど初心者の場合なんのどこに気を使うかまで見えてこないのかな
一を教えて十を知るタイプもいれば段階を踏んで見えてくるタイプもいるわけであって成長プロセスは人それぞれだからこそその子にあった伝え方が教える側にも必要なんだろう
でも昨日も書いた「弓と禅」の世界は教え過ぎというのも良くないと説く
大切な部分は自ら解決しないとその人の精神の成長には繋がらないのだ
禅師の教えを言われたままに解釈するのであれば誰でも悟れる
でもみんな真の悟りに辿り着けないからこそ苦悩し続け修行するんだろう
ここで禅の系譜
六祖慧能が現れなかったら禅の道は途絶えていた
初祖 達磨大師 → 二祖 慧可 → 三祖 僧璨 → 四祖 道信 → 五祖 弘忍
ここから六祖?神秀の北宋禅ではなく慧能の南宗禅が今の日本に伝わり現在も残る曹洞宗と臨済宗になったと言われている
北宋禅は中国で発展せずなくなってしまった
禅文化自体も中国では消失し日本で残り発展したのである
ここで六祖を受け継ごうとする神秀と慧能に何があったのか
同じ弘忍の弟子であった二人
無知無学の田舎者の慧能だったが体感派の感性故に弘忍の後継者として認められ達磨大師の袈裟を受け継いだと言われている
一方の神秀は博識多才で既に名が知れ渡っており皇帝にも召され活躍していたが、言葉酔いの極みみたいなところがあり体感派の慧能に出し抜かれるかたちとなった
この辺の詳細は調べてみると面白いですよ
禅が言葉になることによって形骸化してしまったとも言えるだろう
言葉の強さというのは人を縛り付ける力も持っている
発展や進化よりも深化させないと形骸化するのはどの分野も一緒
老子(体感重視)と孔子(言葉重視)もこの例に当てはまる
言葉はどこまでいっても言葉でそこにその人の体感はない
体感のない言葉はただの言葉に過ぎない
僕が今日から毎日練習してどれだけバトミントン上手くなったといっても世界選手権レベルの選手から見れば所詮井の中の蛙でしかない
だから面白いんだよなぁ
それでも楽しいからやるでいい
昨日の自分より上手くなってたが今の基準でいい
その自己成長の面白さをこの先大事にしていきたい
ここに言葉はいらないのだ
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
漫画から禅までを行ったり来たり
ほんとは今日は老化について書こうかなぁとぼんやりと思ってたんですけど書き始めるとこんな感じとなりました
うつしきオンラインでの追加の作品更新のお知らせです
今日1月20日12時より12点更新します
ご縁のある方は是非覗いて見てくださいね
日本人って宗教についてあまり馴染みがないけれど調べていくと超面白いっすよ
数億人もの人が信じるって冷静に考えてもすごくないですか?
知識欲というのもどこまでいってもキリないからゆっくり調べていこっと
その自分なりの考えのまとめをこの先もここでシェアできればと思っております!
さぁコツコツ手を動かそう
今日も最高な一日を