煩悩との戦い 生き方の道標は歴史の教えの中に既にある
生きている限り時は巡る
季節のうつろいを感じるこの季節
誰に指示された訳でもなく樹々は花を咲かせる不思議
来年は咲かないよという気まぐれにならないから植物たちは律儀とも言える
無条件に与え続ける存在ってすごいっすよね
でも自然界の法則はそれに乗っ取って循環している
もっともっとなるのは人間だけ
煩悩の数は108と言われている
貪、瞋、痴、慢、疑、見
煩悩の種類を見つめていると「あっ今自分はこんな煩悩に悩んでるんだな」と気づくことができる
自分がどんな時に怒るのか
どんな時に理不尽を感じるのか
その状態になるきっかけを把握しておく
例えば自分の納得していない世間のルールを押し付けられると嫌に思うんだなとか
公平性のない一方的なコミュニケーションについてだったりもそうであって
よく父親世代の人たちと話す時によく思ってたなぁ
自分の価値観の強要でお前は失敗するとか言われると「何を基準に言ってやがる?」と腹の中でずーっと思ってた
やってみてもないのによく言うわ
お前の狭い価値観に当てはめんじゃねぇよと心の中に潜んでいる鬼がひょっこり出て来て「わしの出番か?」とお待ちかね
今でこそ鬼が出てくる頻度もかなり少なくなっては来たが今でもたまーに鳴りを潜めている
内面と向き合っていると自分にとって”怒り”の感情が一種の行動に対するモチベーションになっているのではと思う節が多々ある
決して品行方正なんかじゃないし真面目でもないのにそのフィルターを通して俺のこと見ないでくれとギャップに身悶えることは多々あった
学生時代振り返るとモヒカンにピアスっすからね
当時は外見でしか表現できなかった心模様
そんなパンクス精神は今もなにやら健在のよう←人は簡単には変わらない
でも禅だったり仏教とかを勉強したり、聖書やコーランなどの世界の宗教の教えなんかを読んでいくとみんな心の在り方だったり生き方を提示している
哲学の指し示すところだって言葉違えど同じようなこと
それを読んでいくと人間の悩みなんて何千年も変わらずそんな大差ないんだなと気づくことができる
悩みの大なり小なりのスケールの問題なだけなんすよね
それが解ればようやく醒めるのです
生まれた当初はずっと起きていたはずなのに学校や社会といった世間様と関わっているうちに徐々に催眠術をかけられ眠らされてしまう
みんな寝ている状態で起きてるやつの存在が邪魔で起きてるやつのことを叩く
「もっと寝かせろよ!!起きてるやつうるせーんだよ!!」
人と違う行動を取ってる人の存在って目ざとく見えてしまうものなんですよね
それすらも比較という煩悩の一つですからね
目が醒めた後にやることを感じたままに綴ってみる
縁が起きる縁起の法則
その一つ一つの御縁に感謝しながらその御縁と向き合う
人は人と活かし合うことで本当の意味で活きてくる
自分を滅私した状態で相手を立てられるかどうか
自分の利益のことだけを考えていると欲張りという強欲状態に陥る
誰かのことを勝たせたいという思いが結果として富に変わっていく
その人のために動きたいと自分を殺せるかどうか
際を立たせることで存在自体が際立ってくる
こんな偉そうなこと書きながら未だ自分の煩悩と毎日戦っている所存でごわす笑
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
今週末から始まるいびつでの展示に向けて佳境を迎えております
明日にはひとまず新潟に向けて1000キロ越えのドライブ
いつものことながら自分に試練を課していきますよ
家族を新潟において結月陽を初めて新潟のおじいちゃんおばあちゃんとのご対面となります
その後宮城に行って会場設営へ
いびつ店主の大将は専門時代の友人だからほんと気兼ねなく祭りみたいな感じっすね
それでも仕事として行くからには結果を残すと想いは抱いておりやす
馴れ合いの関係には興味がない
お互いが高め合う存在でないとね♡
さあ手を動かしていきましょう
今日も最高な一日を