歴史を振り返ったときに人は本当に進化しているのか?

 

 

えみおわす展初日大盛況で迎えることができました

 

心からありがとうございます

 

服はまだまだありますので是非遊びにいらしてくださいね

 

昨日のインスタでの告知通りに今日は人類学について少し書いていこうと思います

 

人類学は人の進化の過程という立ち位置を掴む為にも非常に重要な学問

 

なぜネアンデルタール人は滅びてしまい、ホモサピエンス(ヒト)のみ生存したのか?

 

進化論についてどこまで考えなきゃいけないのか?

 

進化した集団もいれば進化を拒んだ集団もいるわけで

 

その中でも日本人をどう捉えるかを考えていきたい

 

人類学の分類で文化相対主義という考え方があります

 

これはあらゆる文化には等しく価値があるという考え方

 

この視点は文化の多様性と差異に対しての興味はあるが普遍性のある文化という視点がどうしても抜けてしまう

 

原住民の生活や文化を自分たちの価値観を通した上で見てしまう傾向が強くなる

 

都会の文明人と狩猟採集民の対比で

 

「都市から森を見下ろす」のではなく「森から都会を見上げる」視点で文化の違いを考えていかなければそもそも本質は見えてこない

 

縄文と弥生の大きな違いは狩猟と農耕にあって

 

農耕によって貯蓄が生まれそこから私有という概念が生まれた

 

現代の僕らが私有について考えるのってめちゃ難しいですよね、、

 

もともと私有という概念が無い状態で生まれるのと持っているのが当たり前の価値観の中で生まれ育つと根本から違ってくる

 

農耕が主流になると農地の拡大が必要になりそこに人手が必要になる

 

それでどんどん集団が拡大していく中でそれを納める人が出てくる

 

ここから持つものが偉いという権威が生まれてしまう

 

人の脳の構造上だいたい150人くらいが一集団として適していると言われている

 

というのもその集団は家族が主となった集団なのであの子はどこそこの誰というのがなんとなくみんな把握できる人数なんですよね

 

学校とかでも一学年の人数を思い返せば名前はわからないけどなんか見たことあるくらいの感覚っすかね

 

で集団の人数が150人を越すあたりからずるい者や悪い者が出てきて富と権力を独り占めしようとする

 

これが文明の本質と言われており格差を生み出す構造と言われている

 

そこからは土地の拡大で「産めよ、殖やせよ」という自然観や人間観

 

農耕の先に都市ができるのです

 

どうしても狩猟と農耕を比較して話すときに狩猟VS農耕の二項対立の考え方に陥りやすいのだがその間のグラデーションがあることを忘れてはいけない

 

ここで現代人を考えてみる

 

資本主義という貨幣制度が元となった社会の中に属する僕たち

 

その属する集団、例えば会社だとして自分(組織)の利益を高める為に会社の中にいるとして

 

会社と会社の間に知らずのうちに境界線を引こうとして

 

自分の利益を高めない集団や仲間外の人を排除しようとする傾向があり

 

その傾向が強まれば敵対的、排他的にと閉鎖的な人が増えてしまうんですよね

 

差異を認めない

 

それがあらゆる差を別することに繋がっていく

 

だからこそそうならない為にも違いを認めたり相手のことを知ろうという姿勢が大事になってくる

 

より多くの世界観の中で今やグローバル企業は一つの国より大きな力を持っている

 

こうすればもっとよくなるのにという提案が出ても企業の利益のみを優先する

 

数字の魔力に取り憑かれてしまうんですよね

 

どっちの方が強いという力の文明が今の世界だとするのならば目指す先はそこではない

 

目指すは情緒豊かな世界であり”もののあはれ”といったような日本の価値観や美意識を追求する美の文明の方が理想的だなぁ

 

京大教授の山極寿一さんの著書のシリーズに「ゴリラから生き方を学ぶ」だったり「サル化する人間社会」だったりがあるんですけど

 

サルやチンパンジーは争いがあるんですけどゴリラって争わないんですよね

 

じゃあ人って争いのないゴリラから退化した存在なの?

 

それは少し極端な書き方かもしれないけどゴリラから学ぶことはたくさんある

 

人間至上主義な考え方が蔓延した空気がそもそもおかしいんですよね

 

犬や猫といった動物に心があるか?

 

植物はどうだろうか?

 

江本勝さんの本の「水は答えを知っている」中で言葉によって水を凍らせた時の結晶が全然違うんですよね

 

ありがとうと声をかけた水が作り上げた結晶はものすごくキレイで

 

反対にバカヤローという声をかけた水は結晶にすらならなかった

 

言霊の力って本来ものすごく強いんですよね

 

だから人は自分の使う言葉でできているとよく言われている

 

いい言葉に出会う人生でありたいっすよね

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす

 

歴史で四大文明について習うのに平和で長く安定した縄文時代がそこに入らないのがおかしい!!と思ってます

 

自国の文明を教えない教科書ってやっぱ違うんだよなぁ

 

情緒を持って感じれば歴史教育だってスーッと入ってくる

 

そういうのを教えていきたいし学び続けていきたいですよね

 

えみおわす展二日目はどうなることやら

 

そして宮城県いびつの展示は今日が最終日

 

さっきニュースで見たけど昨日の地震大丈夫だったかなぁ

 

天変地異だけはどうすることもできないから心構えと対策を取り続けるしかない

 

何があるかわからないからこそ今日を精一杯生きる

 

今日も最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono