言葉に振り回される世界においての言葉のない世界
言葉が先か、思考が先か、物が先か
リンゴはリンゴという実物がないとリンゴという言葉が成り立たないからやはり物が先なのか
アダムとイブが禁断の果実(善悪の知識の木の実)を食べてしまったことによって正しい正しくないの二元論が生まれたという
このどっちが先に食べた説はいくつかあるので一番有名なところで蛇にそそのかされてイブはその実を食べたという
そしてそれをイブはアダムに手渡して食べさせた
そもそもイブは最初にその実を口にした時に気づいてたのではないか?
一人だけ羞恥心を持って生きなきゃならない世界じゃ耐えられない
じゃあ、アダムは道連れってことなのか
いや待てよ、そもそも一人だとリンゴがリンゴと認識できないけど二人以上で共通認識(言語)が生まれるってことなの?
言語空間の中に生きている僕らにとっての言葉とは一体何か?
赤ちゃんが言葉を覚えるまでの期間や1歳児や2歳児くらいまでの子どもの世界に言葉は少ない
それが最初は単語から段々と文へ成長していく
そもそもそれは成長なのか?
カバン(物を入れて運ぶ道具)があるとする
これがルイヴィトンのバッグやエルメスのバッグになるとどうだろう
途端に脳内に映し出されるイメージが変わる
記号=ブランド
でもその記号に人は大きな価値を持つ
もちろん歴史や素材、生産背景などあるので一括りにはできないんだけど
中にはその記号の為に苦労して働いたり借金までする人がいるという不思議
じゃあ記号マジックってすげーな、、、
用途に応じた道具であったカバンに記号がつくことによって人のイメージと価値は大きく変わるんだ
ここに茶碗がある
それが本阿弥光悦が作った楽茶碗となると価値が変わる
じゃあ価値ってなんすか?
もちろん物の持つ美に価値が含まれるのはわかる
じゃあ高い価値を持つには記号=ブランドを作ることなのか?
あながち間違いじゃないのかもしれない
ハンドメイドジュエリー作家だとちょっと響きがチープだけど、それがティファニーやカルティエ、ブルガリ、ハリーウィンストンとなると印象が大きく変わってくる
じゃあ記号を省いて物の価値を見分けられるかどうかの眼を鍛えるのはこの先非常に重要になってくる
真っ白な空間で物だけを並べてそこに余計な言葉を添えずに純粋に物だけで善し悪しを判断するのは美意識を鍛える勉強にはなるよね
100人くらいに作品を一点だしてもらう
でも選ぶ人の好みで善し悪しが分かれるというのもある
選考者によって変わる運命
太宰治が志賀直哉に落選させられたことを死ぬまで恨んでいたことを考えると選ぶ側にもそれなりの責任は必要ですよね
色々な条件みたいなのがあって大変だなぁ
リンゴも木村さんの作った無農薬無肥料のリンゴとなると価値が変わる
もちろんそこに至るまでの手間暇があって
何も知らずに目の前にリンゴがあって食べるとあぁ美味しいとなるのはリンゴはリンゴなのであって記号に振り回され続けているのがこの近代とも言える
言葉ってなんすか?
考えれば考えるほどに沼に陥る
ピダハンというアマゾン奥地で暮らす部族がいる
彼らは言語を持たない
朝も昼も夜もないし男も女も父も母もない
幸せなんていいう言葉もないから不幸なんていう状態になることすらない
善悪すらない
その世界ってどう見えるのかな
言葉に振り回される世界においての言葉のない世界
思考においては言葉が多いと理解度は高いともいえるから難しい
でも完璧な答えなんてないからね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
いやぁ考えれば考えるほどに沼っすね
別に考えなくてもいいんですけど記号に振り回されるのは嫌っすからね
記号を取り除いた物の善し悪しの美的基準値を上げたいという人間の欲は底知れない
今日もコツコツ手を動かすぞぉ
今年最後の展示は来週土曜日より京都STARDUSTです
楽しみ楽しみ
最高な一日を