老子の思想と陽明学における知行合一をインストール

 

朝目が覚める

 

いつもと同じ天井が目に映る

 

この繰り返しの毎日

 

題名なんてついてない日

 

特別でもないなんてことのない日

 

でもそんな日が誰か誕生日の人もいるだろうし

 

反対に誰かとって大切な人が亡くなった日かもしれない

 

じゃあ自分にとっての関係性の中での特別感でみんな生きているともいえる

 

聞く耳を持たない人との議論が伝わることがないように

 

対話は相手の話を汲むという前提でコミュニケーションが取れる

 

一方的に遮断されたり無視されてしまうとその先の発展はない

 

どっちが正しいの正義の振りかざし合い

 

それが今までの地球史における上下 対立 同一化という変わらない絶対的ルール

 

そこから抜け出して考えていかないと次のステージには行けやしない

 

思考だけで作り上げられたルールにはどうしても限界がある

 

それは孔子と老子のやりとりからも見えること

 

おおざっぱに書くと人を規律(言葉)で縛る孔子の思想と無為自然を説く老子

 

言葉を重視するという点では孔子の考え方は西洋哲学とも近いと言えるのかな

 

個人的に老子の思想が好きで柔弱謙下、小国寡民、上善如水というのは今の時代にこそ必要な教養とも言える

 

なかなかどんな形にも合わせられるような水のようにあることって難しいですからね

 

自分と反対意見でもあればすぐ自分という我が出てきてしまうので我が出てきた瞬間即自戒っす

 

頭で考える言葉に縛られない為にも身体に目を向けないとどんどんその身体の価値が下がってしまう

 

赤ちゃんが子宮の中で形成されていく際に最初にできるのが背骨と言われている

 

背骨の重要性

 

この背骨の横を自律神経が通っているから背骨のストレッチをすることによって自律神経が整うともいえる

 

この背骨の前面に五臓六腑の全てが詰まっている

 

この上半身を支えるのが下半身

 

足腰を鍛えることこそが体の全てを支えることともいえる

 

疲れにくい身体作りであり生涯歩行のための足腰を作る

 

昔の日本は畳文化だから正座やあぐらなんかで自然と足に血流が行く生活様式だった

 

それが明治維新以降の椅子文化が入ってきて座るの意味が身体的に大きく変わってしまったのだ

 

そして今はどんどん身体と思考が切り離されて別物のように扱われている

 

頭での知識をパンパンに詰め込むんではなく逆に減らして感じる時間を増やしてやる

 

日常でできる些細なことでご飯をゆーっくり噛んで味わって食べるとかね

 

満たすだけの食事だとなんでもよくなってしまう

 

行動と思考を一致させてやらないと今はどうしても思考重心な価値観が多すぎる

 

老子の基礎思想と陽明学における知行合一なマインドセットをインストールしておけば外部の声が気にならなくなる

 

外に求めるのではなく内側を見続ける

 

その身体、頭では乗りこなせてると思ってるようで実は乗れてすらいなかったりする

 

地に足つけていかないとどんどん思考に引っ張られて行くから気をつけたいd( ̄  ̄)

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす

 

いやぁ毎日が学びの連続ですね

 

固定点を外し続けるのってなかなかハードですよね

 

これを武道の言葉で居付くと言われている

 

足取り軽やかに今日もコツコツ手を動かしていこう

 

最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono