消費から考える物を大切にするという精神性
今朝は島根から美山へ移動の車中ブログを書いてます
左手に日本海を横目に朝日が昇っていく贅沢な景色
さて昨日石見美術館で拝見した二つの展示
「コズミックワンダーと工藝ぱんくす舎 ノノ かみと布の原郷」と「ファッション イン ジャパン1945-2020-流行と社会」
この二つの展示が面白いくらいに近代社会の発展と大きく密接しある種の対関係を表している
当時の麻や楮、葛などから糸を生成するまでの過程を経て
ようやく一反の布を織るに至る
その布も残布を出すことのないようにと平面構成で作られる着物という形状であった
一枚の布を織るのに果たしてどのくらいの時間を要していたのだろうか?
その時間のことを思えば物を大切にする精神性というのは現代において確実に薄まってしまっていることだろう
ファッションが消費の対象となり流行という名の消費期限がついてしまった
会場入り口で流れていたビデオの中で都築響一さんのインタビューが非常に面白かった
裏原などのストリートカルチャーは一枚1500円くらいで売っていたTシャツを一枚10000円近い値段で販売し、雑誌もそれを面白がって特集を組み当時の地方に住む10代20代の子達はそれを買うことに憧れ開店前からお店に並んで、それをまた雑誌が特集を組んでというサイクルを生み出す一種の集金装置のような役割を担っていたといっていたのはもう眼から鱗のように振り返ってみて思う
まさに自分自身がそうだった
北海道の帯広に住む10代の自分も雑誌を片手にいいなぁと高速バスに揺られて札幌のセレクトショップに服を買いに行ってた
この展示を案内してくれた学芸員の廣田さんがなんと偶然地元が一緒とのことでほんと世界は狭いんです
少なからず同じような時期を十勝のあの辺りで過ごしていたのが今は島根の美術館でこうして話をしている不思議
歴史というのは振り返ってみてでしか見えてこない
当時と今
ファッション イン ジャパン1945-2020-流行と社会のブースの最後をi a iが飾っていたのも物凄く時代を表していると言える
改めて消費側からみんなが作り手になる
これは服だけに留まることなく全てにおいて当てはまることでまさに今が表現の時代真っ只中
物があふれる時代においての次を考察するに必然と消費より体験や経験にこそ価値の比重が高まるのではないだろうか
SNSなんかで自分の作ったものをアップして好みや趣向の近い人から賛同を得る
その近い人たち同士の中で交流が生まれ一つのカルチャーが生まれる
そのカルチャーも以前のようにたくさんの人を巻き込むような大きいものにはなりにくいかもしれないけど、一定数の共感者たちの集いのようになるのかなぁ
自ら作る楽しみってありますからね
そういう意味でいうと極化は避けられないのかも
良くも悪くもテクノロジーによって加速度的に個人化が進んでしまう
その中で人との関わり合いを面倒に思ってしまうと二次元やバーチャルの世界が心地よくなってしまいそこから抜けられなくなってしまうというのは想像がつきますよね
純粋な表現というのがビジネスモデルの構築と絡んでしまうのは致し方ないことなのか?
考えなくてはいけないことが山のようにある
もう少し深めていきたと思います
そんなこんなで普段なら子どもたちを起こす時間でーす
初めての美山来訪
今回の展示をみてますますCOSMIC WONDERの持つ魅力に圧倒されました
あいにくの雨模様の中でどんな撮影になるか今から楽しみです
分野を牽引する方々の話を聞くことは面白い
知らないことを知ること
そもそも何を知らないかすら知らない可能性もありますからね
うつしきオンラインで作品を求めて頂いた方ありがとうございます
購入してくれる方がいるから作れるのだとその関係に感謝しかないです
その時々のできる最大限で一日を過ごそうと思います
今日も最高な一日を