努力マンよりラッキーマンに今なりたい
みなさん努力してますか??
なんだよっていう書き始めですが
努力って言葉 子どもの頃から僕はずっと好きでした
ラッキーマンでいうところの努力マンが自分の立ち位置だとすら思っていた節があります
なんでもコツコツ努力してれば叶うんだ
そう思って生きてきたと言っても過言ではないです
それである程度望みは叶ってきたということもあるのですが
でももうそれをやめようと思います
小野、努力やめるってよ!ばりに急にやめます
コツコツとなんでも習慣にすることはいいと思うしそれは僕も続けるとして
努力って言葉には一つ怖いことがあって
俺、努力してるんだ!って状態に酔う言葉に酔ってる人を多数見てきたことも要因の一つだろう
努力という名の言語束縛
もともと楽しいからやっているわけで
強制されているわけでもないのに
俺努力してます!(ドヤっ)という感じがなんか滑稽だなと思ってしまったのです
改めてラッキーマンの話に戻ろう
少し昔のマンガでガモウひろし作のアニメ化までされた作品
実はガモウひろしがあのデスノートやバクマンの原作者
大場つぐみ=ガモウひろし説は僕も賛同したいと思ってる一人です
脱線しちゃいましたが
色々な敵をラッキーだけで勝っていくというシンプルなマンガなのだが
勝利マン、友情マン、努力マン、天才マン、世直しマン、男のロ・マンなどなどの個性豊かな登場人物がいる中で
努力であろうが天才であろうが
ラッキーの前には勝てない
よくあるこのキャラクターが最強だ的な議論の中でも
ラッキーマン最強説という根強い主張すら一部ある
ならばとここ最近ふと思ってしまい
だったら俺はラッキーマンになりたい
ラッキーマンに!!!俺はなる!!!(ここでルフィの登場)
ここでいう僕なりのラッキーマンとは努力!努力!と身体や意識を強張らせるのではなく
やることはちゃんとやって
日々どれだけゆるめられるかが肝になってくる
ゆるさがなくて硬いだけだと折れちゃうからね
努力アプリからラッキーアプリを自分端末にインストールする
痛い大人が現実離れして努力よりラッキーって言ってるわけではなく
ちゃんと現実に置き換えた上でコツコツ積み重ねるのは前提に置きながらも
ラッキーマンになりたいというお話でした
今日も素晴らしい一日を