デカルトを疑えっ!我思う、故に我無し説を提唱してみる
デカルトを疑えっ!!
おいおい小野よ、、急に何を言いだすんだよと思われる方が大多数だと思うのですが
しばし小僧の戯言だと思って読み進めて見てくだせぇ
デカルトを疑うというのは近代教育そのもの全てを疑えとなるのですが、
1600年代フランスの哲学者ルネ デカルトさん
彼の方法序説の中で教科書で絶対に出てきたこのワード
我思う、故に我あり
みんな聞いたことありますよね??
ここ最近ブログを通してずっと書いてることで自分=我なの?ってこと
じゃあ、いつから自分=我になったのかを辿ってみる
まず戦前の日本で学んでいたことって自分探しなんてことでは決してなくて
むしろ人に尽くす滅私奉公っていう考え方が基本だっただろうし
研鑽や鍛錬という言葉の捉え方も強くなりたいより良くなりたいという
個人の成長願望はもちろんあると思うのですが
君主に尽くすというのが武士道の基本であると僕は思っていて
本来日本人にはそれが染み付いていると思っている
自分探しの成れの果ては個人主義に繋がってしまうでしょ?
今インターネットで検索するものって自分の見たいものなだけなはず
個人の願望がそこに投影されてしまっているのです
その結果理想と現実のギャップにみんなが悩みだし
うまくいってる人とうまくいかない人
富の格差と情報の格差
まずここで上下が生まれ
羨ましいや嫉妬などである対立が起こり
そこから似たような境遇の人で集まる同一化
群をつくって個人を総だたきにする現象
いわゆる炎上が生まれてしまうのです
そんな自分探しの結果この構造を確実に作っていると思うんですよね
別にデカルト自身は神秘主義な一面もあり
彼の有名になり過ぎた我思うゆえにって言葉だけが切り取られて先立ちし過ぎてしまったと思うのですが
ここで一旦立ち止まって西洋と東洋の価値観の相違を見てみると
西洋(個人主義 ”我” を突き詰めた先)の価値観だと
あらゆる価値を物質的(身体)と精神的(心)に切り離して考えてしまうところにある
東洋の価値観だとそれらを切り離して考えていなく物質(身体)の中に精神性(心)を見ていて
その両方を内包し同一視している
この考え方は色即是空の考え方にも繋がると思っている
今も勉強中だから間違ってても揚げ足取らないでね( ´Д`)y━・~~
もちろん全ての人に当てはまる訳ではないということは注意してください(二元論化してしまうから)
ここでまた我なんて無くして人の為に動ける奴に俺はなりたいと思うんですよ
あくまで自分はそうなりたいってだけなので押し付けでもなく捉えてくださいね
言葉に対する過剰反応が昨今多いから発言にも気をつかっちゃいますよね
気をつかう=同調圧力場の形成になるので空気も読みすぎると疲れるよ〜
図太い鋼のメンタルを持ちたいものです
こんなことをうつしきの朝ミーティングでは話しています
学び合い教え合いは相乗効果で身になります
早く寺子屋作りてぇ〜〜〜
ってことで今日はこの辺で
野原展示の動画が完成しました
youtubeもチャンネル登録 & 高評価してもらえると最高に嬉しいっす
小田の動画のクオリティもどんどん上がってる
今ちょっと映像で面白いこと考えてるのでまだ先ですが実現をお楽しみに(出し惜しみ)
ブログに力入れ過ぎてアクセサリー作ってないんじゃないの?!と思われる方に一言物申す
甘いっす!!
やることやりまくってる合間に早起きしてこの趣味のブログ書いてるんですよ
現実は常に今ここなんすよ
なんてね、てへぺろ・:*+.\(( °ω° ))/.:+
それでも遅れてしまっている方ほんとすいませーん
今日も学び多き一日を