居心地の良いの追求
広島での目覚め
居心地の良いcite’での時間
三度目の展示ということもあって
毎回来てくださる顔馴染みの人たちがいる
これってすごい嬉しいことだなと思っていて
その土地に行く醍醐味そのもの
この人たちに喜んでもらえるように日々作品のクオリティを上げ続けなければなと思うのです
居心地の良いってなんだろうな
整ってることだし
こうしなければいけないというような圧も無いし
それでいてみんなそれぞれやるべきことが解ってる状態でもあるし
自分の立場を踏まえているからでしゃばらない
適切な間合いを知っている
変に馴れ馴れしく無い
やっぱり大事なのはお互いにリスペクトのある関係性
だから立場のマウントを取ろうなんてのも微塵も無い
共通する興味がたくさんあることだったり
向いてる矛先が一緒だったり
そう考えると居心地の良いという要素って案外多いし
これらがずれると居心地が良くなくなっていくにも繋がる
安心感や安堵感
心が休まってる状態を作ってやること
お互いを持ち上げる関係性をいっぱい作ること
相手より自分の方がと思う気持ちが出て来たら
その考えは間違っている
比較はいらんでしょ
適度な競争は大事だと思うけど
結果に執着する必要は無い
より良くなりたいという思いを忘れたら成長は無い
そういう意味での競争ね( ´∀`)
多様性を重視する上での拘束しない仕組み作り
昔の日本の教えだと型作り
型の体得が基礎となり
別の型への応用に繋がっていく
型という立ち戻れる場所を作ってやること
仕組みも上に合わせるのか下に合わせるのかというそもそもの話がある
上と下という表現は誤解を招きそうなので少し補足しておきます
子どもや社会的にハンディのある人
日本の場合国立公園とかでもここから先は危ないから入らないでくださいというテープが貼ってあったりする
子どもが走って落ちたりしないようにだったり
未然に事故を防ぐのが目的だろう
でもそれが景観を損なってる場合というのが多々ある
じゃあ、どっちに合わせるのがいいものか
これを人の持つ良識基準で考えると本当に必要なのか?という疑問も出てくる
オーストラリアに住んでた時
自然国立公園のような場所だと
景観を重視するためにそういうテープなど一切なかった
過度に危ないよという警告をするのがいいのか
それとも人にその判断を委ねるのがいいのか
これは仕組みを作る上でどっちに合わせるか問題になってくる
あとオーストラリアで印象的だったのは
スイッチ押すとBBQができる機械が公園に置いてあって
休日をそこで楽しむ家族がたくさんいた
その近くにゴミ箱などは一切なく
持参したゴミは全てみんなで持ち帰るのが暗黙のルール
周りにゴミは捨てられていなくすごく高い水準で綺麗を保たれている
正解も不正解もないし比較をしてるわけじゃないんだけど
規律で縛りつけるのではなく
自由を担保した規律を作ってやることが重要なんじゃないかな
国という大きな単位での規律もよくよく見れば怪しいところもたくさんある
誰のための規律なのか
今一度考えやる必要があるんじゃないかな
一つ一つを踏まえて
どうすればもっと生きやすくなるのか
全体主義でも個人主義でもどっちでもいいんだけど
自分のモラルを押し付ける同調圧力は無くなってほしいなぁと思っている
っとそんなこんなで時間となりましたー
これから福岡に戻ります
広島好きだなぁと思うのは
やっぱりそこにいる人が好きなんだよなぁ
人ありきで土地の印象は大きく変わる
そんなことを思うのです
うつしきは今日から夏休みです
清水志郎展たくさんの方に足を運んでいただきありがとうございました!!
一ヶ月休んで手がかけられなかったことに着手していきます
まずは戻ったら草刈りだな
今日も最高な一日を
このツイッターのアカウントではツイートよりいいねを観て頂ければニュースには出てこない世の裏側が見えてきますよ
タイムラインをネガティブな情報で埋めたくない
少しでもポジティブにみんなが生きやすくなる世の中の空気を作りたい
周りに誰も争いを好む人なんていないでしょ?
真実を知ろう pic.twitter.com/1ZVZs9NUYe
— yasuhide ono / うつしき (@utusiki_) May 10, 2020