なんで人は生きてるの?という問いになんて返す?
人は言う
答えを知りたい
答えさえ解れば不安もなくなるから
答えさえ解ればそのように動けるから
でも答えなんてない
学校で人生の意味や生きる意味なんて教わらない
父ちゃんなんで俺は私は生きてるの?という目をキラキラさせた子どもの問い
それになんて答えることができるか
それをみんな探している
自らが動いた結果ぼんやりと少しずつ見えてくる
その答えを求める過程そのものこそが生きてるということ
意味偏重になりすぎずにひとまず動き出してみること
それでしかなにも始まらない
頭の中で緻密に立てた計画
それも行動しないと空論にしかならない
それ俺も考えてたといういくつものアイデア
最終的にそれをカタチにするかどうか
目玉焼きの作り方を知ってる子と
実際に目玉焼きを作れる子とではぜんぜん違う
それがなんの為になるんだよ
そんなのできるようになっても意味ないじゃん
頭の声ってほんとうるさい
できるようになったら楽しくなる
水が怖かった子が潜れるようになったら
海の中の景色を知ることができるかもしれない
それを絵に描いてみたいと思うかもしれない
じゃあ海の絵ってどうやって描くんだろうと考える
その中で五十嵐大介の怪獣の子供と出会うかもしれないし
葛飾北斎の波の絵と出会うかもしれない
それってその子の可能性が広がることに繋がっていて
その可能性を広げることが学びや教育の一つ
これは大人も子どもも一緒
父ちゃんあれ書いてと子どもにせがまれて
描けるか描けないか
ここで子どもの興味を消してしまう可能性に繋がることもある
じゃあ大人も一緒に学ぶ必要があって
一緒に書いてみよっか!は方法として一緒にできるし
コミュニケーションも深まるもの
あくまで相手のやる気は大事で
無理矢理やった中での学びももちろんあるだろうけど
自主性を尊重するのは大事ですよね
でもそれぞれの家庭のみんなが過ごしやすくなるルール
掃除や皿洗いなどの家事は決まりごととして子どもに習慣化させるのは大事
躾と強要はかなり違う
年齢によっての伝え方もありますよね
9歳にもなるとできることもほんとたくさんある
我が家の長男坊の協力がなければうちは回らない
スタッフみんなの協力がなければお店も活動も回らない
人と人の関係性
それぞれの役割だったりここにチームワークの大切さがある
美味しいものを美味しいと共有できる人がいるのがどれだけ幸せなことか
笑ってくれる人がいるのがどれだけ幸せなことか
その共感覚を高めることだったり
個人の自由の為だけじゃなくて
結果誰かの為に繋がる動きだったら更にいいよね
こうありなさい
こうしなさい
その声って嫌だったなぁ
息苦しい
例え100人のうち99人がそうしてても
自分が違うと思ったらしなくていいよ
そしたら同じように違うと思う誰かがきっといるはずだから
その人が本当の仲間だよ
そう伝えてあげたい
いろんな立場の違いを知るにはそれこそ経験が必要だ
差別を受けたことのない人に差別を受けた人の気持ちをわかることができないように
その反対もしかりだし
インドでは牛は神の乗り物だから神聖なるものとされている
それが所変わればうまいうまいと食べられているわけであって
この違いをお前違うぞとなると自分の正義でものをみてしまうことに繋がる
なんでだろうと考えること
それが相手の立場になって感じることに繋がりますよね
一方向だけじゃなくあらゆる角度からみてやらないと
この世界の複雑性を共感することは難しい
まあだから大人も学ぶんですよね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
毎日作業してると背中がバキバキになる
ちゃんとストレッチしたり整えないと
昨日はほんと沢山の方にうつしきオンラインで作品をお求めいただきありがとうございます
追加できるように今日も地道に制作に励みます
最高な一日を