届ける(発信)の意味を改めて考える
届けるの意味ってなんだろう
こう毎日ブログを書いたりインスタに投稿したり週に一度youtube更新したりと発信をする中でいつも思う
発信をするとしないとでもかなり変わってくると思うし発信しないよりした方が叩かれる率が増すのは確かなこと
自分の考えを人前に晒すってことだからね
でも発信してみないとわからないことも沢山あってその結果からどう改善するかにも繋がってくる
自分の知りたいことと人の知りたいこともそもそも違うだろうし
じゃあ発信というのは人の知りたいことを伝えることがニーズに繋がるのだろう
数を取りに行くのか
それとも人に読まれようが関係無しに自分の好きに制限無しに書くのか
少なからずそんな制限を考えたりするのも事実なんです
沢山の人の読みたいと自分の書きたいがイコールだと最高ですよね
でも毎日書いてると気分もあるし前日の出来事が大きく作用する
だから今このブログで一番伝えたい根幹は何かを改めて考えてみる
みんながそれぞれの場所で生きやすい空気を作るためにはどう行動したり考えればいいかを自分で実践してみてそのフィードバックをここに記す
自分の仕事はアクセサリー制作とうつしきというお店
そこから見えたことしか書けない
あとは合気道だったりヨガだったり古武術だったり畑だったり自分の身体を通して感じた私生活にまつわること
継続して読んでもらう為に一先ず自身の活動自体に興味を持ってもらう必要がある
沢山の作り手との対話で感じたことだったり違う分野の専門家との対話で感じることだったりと人と接する中で感じたことだったりは一つの共感ポイントを産むのは確かだろう
そんなことを改めて考えるとコンテンツを作るのって大変ですね
定期的にヒットを出し続けるのって人が潜在的に欲しいや観たいと思うものを放り投げる
ここにタイミングも超重要だろうし背景も重要になってくる
そんなこと気にせず好き勝手に表現すればいいじゃんというのも一理あるかもしれないけどそこで芽が出るほどみんながみんな天才ではない
ニッチを狙い続けるのも一つ手ではある
でもマスに響けばその分反応は大きい
ニッチからマスに行く例というのも沢山ある
最終的に本人がどこに居たいのかというのも重要だろう
僕は枠ははみ出し続けた方が面白いという持論みたいなものがどこかにあるんすよね
餅は餅屋の時代もあったのは確かなんだけど型破りからしか新しいものは生まれないのは確かなこと
深さをとるか広さをとるかは表現においてずっと付きまとってくる命題ともいえる
知らず知らずに深く掘り下げていった挙句自然と広まっていたというのは理想だろう
でもそもそも行動がないと何も始まらない
凡人の僕なんかはこうやってコツコツ悶々と考えながら発信続けるしかないことを悟っている
勿論起死回生一発逆転を狙ってね٩( ‘ω’ )و ← 求めないは一体どこいった?
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
今日は長女 透花姫 a.k.a.爆裂娘の五歳の誕生日
子どもたちを引き連れて映画 えんとつ町のプペルでも観に行こうと思います
子ども孝行もちゃんとしないとね
今日も最高な一日を