天と地の間、時間と空間の間を生きる人間
毎朝この時間が来るとうーむ今日は一体何を書こうとなる
だいたい前日の出来事を反映させた自分の思考をまとめる内容が多いのだが
少しでも読んでくれる人の日常に活かせる内容にしたいと心掛けている
今日は自分が身体に注目する一つのきっかけともなった野口整体創始者の野口晴哉氏について書いてみます
最初は「人間の探求」という本から入り口で、そこから子育てについての「潜在意識教育」、「躾の時間」、「育児の本」や整体についての「整体法の基礎」や「体癖理論」を読み漁った
この明治期という大変動期を生きる人たちはほんと芯を持った熱く格好良い人たちが多い
十代の頃、道場に掲げる際に書いたというこの詩
全生の詩
「 我あり、我は宇宙の中心なり。我にいのち宿る。
いのちの無始より来りて無終に至る。
我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。
いのちは絶対無限なれば、我も亦絶対無限なり。
我動けば宇宙動き、宇宙動けば我亦動く。
我と宇宙は渾一不二。一体にして一心なり。
円融無礙にして己でに生死を離る。況や老病をや。
我今、いのち得て悠久無限の心境に安住す。
行住坐臥、狂うことなく冒さるることなし。
この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。
ウーム、大丈夫。 」
こんなことを十代の少年が掲げていることがすごい
他にも2021年の今だからこそ刺さる言葉で
「 自己の世界はいつのまにか、自分自身が作っている。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか、自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。人間はもっと自由な筈なんだ。だから僕のやって来たことは、人を金縛りにすることではない。すでに金縛りになっているものを、どうやって解くかということだ。暗示からの解放だよ。 」
本当にまさにっすよね
自分の目の前に集中してればいいものの誰かの言動が気になったり、誰か有名人の色恋沙汰に口出ししてみたり、自分の倫理観と外れる人に対して文句を言ってみたり、それで言った本人の何かが変わるのか?
これがお互いに暗示をかけて合っている今の世界
そこから抜け出さないとその世界というのは息苦しい
自分自身が宇宙に数多ある星の一つであることを自覚し思い出さないと
虚無という名のブラックホールに飲まれてしまう
この宇宙は相似形であると仮定する
絶対は相対的である
光があるから闇がある
善があるから悪がある
美があるから醜がある
この相対の間
天と地の間
空間と時間の間を人は生きるから人間と名付けられた
行ったり来たりを繰り返しながら端と端を広げ深めていく
その広げ深め方の違いが多様性を生む
でも最終的には真ん中
球体の真ん中である中庸を目指すこと
偏りすらも全体で見れば調和をとっているとも言える
この人生で何を願うか
「 念ずれば現ず
我思う如く、我が事成る也 」
じゃあ希望しかないってこと
自然の理(ことわり)
人間万事塞翁が馬ってことですね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
目醒めたからには少しでもみんなを起こす手伝いをしないとね
それがその人が生まれてきた役目
なーんてね(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
こんなこと書いてると急に照れ臭くなる
大丈夫大丈夫
心配の大半は起こらない
楽観ではなく中観(空)でいよう
さぁ今日もコツコツ手を動かしていきます
最高な一日を