スマホとゲームと子育てについて
活字中毒の如く本を貪り読む日々
知らないことを知れる楽しさを一度味わうともっと知りたいと知的好奇心がブーストする
知りたい欲もキリがないから向き合い方は大切なのだが、、
子どもとスマホやipadなどのデバイスやゲームとネット
先日長男坊の友達が家に泊まりに来た
ゲームをずーっとやってたことからから我が家の子どもたちのゲームやネットの使用について佳王理さんと話し合いになる
この間も書いた「スマホ脳」という本を読み改めてスマホとの距離感と使い方を考える
今の10歳以下の子どもたちは生まれた時からスマホがあるスマホネイティブ世代
その子たちが大きくなった時にどう影響があるかのエビデンスはまだ何も無い
メディアアーティストの落合陽一氏は子どもが生まれた瞬間から与えてとことん使い倒させるという
反対に使わせないという親もいるし大抵はケースバイケースの判断だろう
そのどちらも正解なんて子どもが大きくなってみるまでわからない
家で市販のお菓子を食べさせないという家庭でその子が友達の家に行った時に出されたお菓子を食べまくるという話はよく聞くことで、抑制抑圧した先の反動というのも考えさせられるもの
難しい問題っすよね、、
自分たちも友達が来てる時なんかは友達と話したいからスマホを渡して動画を観せたりすることも勿論ある
人類史上今までこんなにも便利なものがなかったんですよね
行動経済学やマーケティングを専門とするアダム オルター教授の「僕らはそれに抵抗できない 依存症ビジネスのつくられかた」という本があるんですけど、書いてある内容はスマホやネットゲーム、SNSとドラッグの類似性についてを延々と綴ってあり、その依存症を脱却するための方法としてあまり幼いうちに子どもに渡さない方がいいよとのこと
テキストベースのやりとりってもの凄く楽じゃないですか
今の子たちは例えばケンカした時なんかも対面や電話やテレビ電話でのやりとりをせずに一方的にメッセージを送りつけるという対峙してのコミュニケーションを嫌う傾向があるという
本来顔と顔を付き合わせて目の前できちんと話すことが人と人のコミュニケーションの根幹なはずなのに、ネット空間でのやりとりが当たり前になってくると現実でのコミュニケーションがおざなりになってしまう
それが当たり前になってしまう未来を思えばどうなっちゃうんでしょうかね?
キュウリは一度ピクルスになると二度とキュウリには戻らない
これは脳の話
一度依存体質に陥ると辞めたとしてもまたヒョンなきっかけから再発しかねない
脳の快楽中枢が味をしめるんですよね
それによってずっと興奮状態に陥ってしまう
その状態が当たり前の日常になってると本人だけではもう気づけない
怖いっすよね
自分も子供の頃はよくゲームしてたけど高校でもう卒業したもんなぁ
だから取り上げるのも違うと思うし、適切な距離で付き合えるかどうかは大事なところ
それを親はアシストしてやる
でも親も依存してたら本末転倒ですよね、、
使ってると思ってるつもりが実は使われてたなんてことはよくあるもの
大切な人生の時間がSNSなんかに搾取されているなんてことがないように自戒を込めて気をつけましょうd( ̄  ̄)
スマホによって奪われたものの一つで集中力が挙げられる
何かに向かって集中することができなくなり気が散漫してしまう
だから僕も作業部屋にはスマホを持ち込まないようにしてる
時間は有限だからこそ目の前に極度集中するように
なんでも大事なのは適切な使い方なんだよなぁ
親指一つで人を傷つけることもできてしまう時代
親がデジタルリテラシーないと子どもに伝えることができないからこそきちんと親が勉強して知る必要がある
そういう意味での読書は大事ですよね←活字中毒の言い訳
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
今日はうつしき合気道の稽古の日
楽しみだなぁ
それが終わったらみんなで畑の土作り
土を抜本的に改善してやる
そしたら来年以降が楽になるはず
やっぱ身体を意識して動かすのは大事ですよね
脳の奴隷にならないように身体に意識を向けるっす
さぁ手を動かしていきましょう!
最高な一日を