芸術とは人間が労働の中に見出す喜びの表現
さて、今日は昨日のインスタで告知した通り美学(芸術哲学)について書いてみようと思います
美しさとは何か?
美しさをなぜ感じるのか?
美に感じる崇高さとはなんなのか?
美の本質や原理について僕らは一体何を知ってるのだろうか?
それを現すために古代の人々は数学を駆使した中に比率と幾何学模様を見出した
黄金比、白銀比、フィボナッチ数列、神聖幾何学模様 etc
レオナルドダヴィンチの描く絵は全て黄金比を用いて描かれている
名建築と呼ばれるものの大半も比率を意識して建てられている
そして人類一番の発見は自然の中に美しさの根源を見出したことだろう
人の作り出すものはこの自然の中にある美しい法則を模倣してきたとも言えるのです
そもそも美しいを感知できるのはどうしてなんだろう?
黄金比があるのも同じ対象物を観てみんなが美しいと思ったことがことの始まりだとするのならば、美しいという感覚はDNAレベルで組み込まれているということになるのだろうか
人体に共通してプログラミングされているのだとすればすごいことですよね
自然の循環を意識して生きていく中で人の役割を考える
果たして今は発展や進化の道を辿ってるのだろうか?
田舎のあちこちに土地が安いを理由に山を切り崩してメガソーラーを建てるのは景観的にどうなんですかね?
ただ眠らせてるよりも少しでも利益が出れば問題ないのかな?
環境破壊について叫んだところで根本的な部分では何も変わらないのが悔しいところ
でもきっと大丈夫
僕らの世代では変わらなくても子どもたちの世代で疑問に思う子たちが沢山出てくると信じてる
じいちゃんばあちゃんの考えを変えるより子どもたちを変える方が簡単だ
何にも染まっていない
反対に染めてしまうこともできるから何より大事なのは教育にある
生命と環境を基礎においた経済学をしっかり学ぶこと
芸術とは人間が労働の中に見出す喜びの表現
ジョン ラスキンの言葉
素晴らしい言葉の表現ですよね
労働のための労働だとその先が暗い
でもラスキンの言葉の中には明るい可能性がある
僕は何度も書いてるけど人は生まれながらにして皆表現者だと思っている
料理が得意な人がいれば音楽を奏でるのが得意な人がいて
その得意なことを持ち寄った世界の多様性こそに面白い世界がある
循環することを意識する
自然は無条件に与えてくれる
だとすればそれを真似すればいいってこと
太陽が怒ったからもう出てこないぞ!!となれば人類は滅亡するわけだし
無条件に与える存在になればいいのだ
でもそれが難しいんですよね
自我があるから自分さえよければという考えであったり、その範囲が拡張して家族がよければ、自分たちの会社がよければ、国がよければという世界の歴史
繰り返さないためにこそ歴史を学ぶ
少しでも良い方向に進めば最高でしょ!?
人類の笑顔総量が増えるのが本当の意味での社会貢献だもん
インドを旅しててどれだけ貧しい家庭でも子どもたちは笑っている
じゃあ笑顔の要因に貧富は関係ないってこと
現代では比較するから不幸になる
暗いところにいると明るいところはよく見える
けど明るいところにいると暗いところは見えにくい
身体言語の比喩表現は言い得て妙っすよね
自分は自分でしかないから誰にもなることはできない
環境を哀れんでも何も始まらない
その環境すら自分の行動で変えることができるのが人間のいいところのひとつ
じゃあ可能性しかないんですよね
0の数に振り回される現代ってなんなんだろうってほんと思う
美意識を基準に行動する
それが粋ってもん
昔いた格好良い大人たち
憧れであり目指していきたいところ
その為にも日々を大切に紡いでいきましょう
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
全部が切って離せないくらいに複雑に絡み合ってる構造主義な現代社会
一つずつ紐解いていかないともう既にカオスですからね
全員が納得するような大きな答えは解らないけど小さい単位での活路は少しずつ見えてきた
それを個人個人が実践すればいつかはひっくり返る
そんなことを願ってます
今日もコツコツ手を動かしていきましょう!
最高な一日を