道具の未来の考察「道具論」草稿
花粉症やばい季節っすね、、、
今日は「道具」について書いてみようと思います
何かを達成するために使う物のことを「道具」と呼ぶ
ここで人類が今も昔も問われているこの風刺を考えてみたい
人間は道具を作る猿
もしくは
人間は道具を作る道具を作る猿
結構痛烈ですよね
1800年代の産業革命時の哲学者や社会学者たちはここをずっと考えていたんですよね
工場ができて生産性が上がり効率重視になった
流通システムなどの制度設計が構築されその結果多くの物が行き渡った
工場は何かを作る場所
その工場によってもできる物の特色は違う
例えば冷蔵庫、車、テレビ、パソコン、スマホ、お弁当などの加工食品etc
冷蔵庫は物を冷やす、凍らすための貯蔵道具
ここでもう一度さっきの言葉に戻る
人間は道具を作る猿
でもちょっと待って
冷蔵庫の三種の神器と呼ばれるくらい人類の食料の貯蔵のために貢献した発明なんです!!
その恩恵を否定しちゃダメじゃない!!←そもそも考察なので否定してるわけじゃないっす
冷蔵庫の進化
冷凍食品の劣化を抑える機能がついたり省エネになったり
今だとAlot時代(AI+lot)に向けたwi-fi機能搭載で冷蔵庫の中身をAIが管理してくれる時代となりましたー
わーパチパチ!!ってなるんかな?
便利の意味って考えることや創造性を奪うことにあるんか?
余った食材の中でこれで何作ろう?という献立を考えるのをAIに任しちゃっていいの?
それを考えるのまで面倒臭い時代なの今って?
そんな時間すらないのか
じゃあ道具の進化はどこまで必要なのか?
家の家電全てをAI家電に置き換わった世界を考えてみる
全てタブレットの中のアプリで最適化
冷蔵庫からエアコン、テレビの観たい番組の自動録画してもらって自動掃除機に掃除してもらって、室内環境を最適化する
これが来るべき未来の姿??
そもそも利便性を求めることの本質って時間の節約であって
その余った時間で何をするのか?
SNS?youtube?Netflix?
誰かの作るコンテンツに時間を消費するの?
アプリも道具も本質はなんら変わらない
でもね、本来道具はそうじゃなかった
昔の素晴らしい職人でこの人の作るノミじゃなきゃ駄目だという人たちがいたんです
名匠と呼ばれる人たち
この人の作るこの道具じゃないとダメなんです!!
今の一般住宅にみられるようなツーバイフォー工法ではそんな精度の高い道具なんて必要ない
どんどん効率重視の功利主義な社会
数を作れー安くしろー早くしろー
何をそんなに焦ってるんですかね?
伊勢神宮を作るのに機械はいらない
大工さんたちの技術のみで建てられていく
手工芸の極み
職人の技に弟子たちは萌えていた
その領域に達してみたい
身体の一部のごとく道具を使いこなしたい
でもそれが風前の灯火のように消え去ろうとしている
継承が古いものとされている
脈々と受け継がれてきた歴史が途絶えようとしているのか
こんなこと書いてるとあいつは時代錯誤だぁと言われかねない
そんな考え方古い古い
チャチャッといこうよの空気
スマホを颯爽と親指一本で使いこなす姿
スタバでMac広げて仕事する姿
それ格好いいっすか?
なんでそれが格好良く見えないのかをずーっと考えてたんですけど
道具と身体性がかけ離れてしまったんですよね
名匠と呼ばれる人の道具使いが格好良かった
これは道具が身体の一部となっていた
そこには道具による身体の拡張がみられた
でも今は身体蔑視な考え方が横行している
道具をどう捉えるか
その道具を扱う自分たちにとってずーっと考え続けないといけない
蚤の市で初代iphoneを見つけて懐かしー!!となるかな
もしかしたらiphoneはデザイン性でなるかもね
MoMA美術館に深澤直人デザインの「INFOBAR」が永久収蔵品の中にある
いいデザインの生存率は高い
うーもっと書きたいんですけどタイムアップ
子どもたちを起こす時間でーす
道具論は超奥深い
うつしきの空間でモダンプロダクトデザイン展とかやっても面白そう
一つの道具が出来上がるまでにたくさんの人の手を通っている
人間は所詮道具を作る猿かもしれない
けど、その道具を楽しんで作れる感情があるから人間なのだ
そんな感情は猿にはないでしょ!?
おっ!哲学っぽい!!
昨日の祝日も大盛況な福村龍太展
今夜20時にオンラインの方でも掲載予定ですのでご縁のある方はチェックしてみてくださいね
作ってる人の顔が見える物に囲まれるっていいもんすよ
さぁコツコツ手を動かしていこう
最高な一日を