学びの場を通してみる子育てや教育について
賑やかに過ぎ行く毎日
待ち合わせや約束
こうしたいああしたいがあるのって日常を鮮やかに彩ってくれる
昨日の学びの場では子どもも一緒に参加オーケーだったので
10数名の子どもたちがお店の前で遊んでいる状況
やっぱり子どもは元気が一番だなぁ
躾や礼節をどこまで伝えるのか?
家庭によっても変わってくるだろうし超繊細で難しいところなんですよね
シュタイナー教育だったり自然学校だったり
僕らが子どもの時代に比べて選択肢が増えている中で
学校に行かないという選択だってある
口うるさく言いたい訳でもないし
親の自己満足やこうなって欲しい願望フィルターを通しての小言だったり
この問題ってとーっても難しいんですよね
これも最終的に子どもが大人になった時に初めてわかること
干渉せずに好き勝手にやることがいいのか
適度に口を挟むのがいいのか
言い方や伝え方ってのも勿論ある
だからこそ教育問題はとてもとても難しい
過剰な愛や押し付けが歪んだ性格形成になってしまう場合だってある
最終目標には自立だったり社会の中で生き抜く術を教えることだったり
倫理や道徳問題だって絡んでくる
地球に生まれてきた理由なんて人それぞれだ
前世で未消化なカルマをどう清算するか?
それが今世一人一人がこの世に生まれた理由とも言える
抱えている問題というのはそれぞれ違う
お金の人もいれば、人間関係の人もいるし、健康問題の人もいたりと人それぞれ
輪廻があるという前提で考えてみると今の若い子の方が魂年齢的には上と言えるだろう
じゃあこの美しい悲しみの星に何を抱いて選んで生まれてきてくれたのだろうか?
おまえらがずっと解決できなかった問題を解決しにきたぞ!!ってことかもしれない
先天性と後天性
前者は持って生まれた才能(タレント)
後者は環境が大きく左右する
じゃあ環境の大切さってかなり重要な役割を占めている
過度なストレスは嫌だけど適度なストレス(抑圧)は精神を鍛えるのには重要だ
どうしても精神と人格をすぐに切り離して考えてしまう
二項対立に持ち込むこの世界の構造にもっと疑いを持つ
知りたいと思ってすぐに答えを与えられる世界では問いそのものを持つことが重要視される
子ども目線で世界を見てみる
トマ ピケティの21世紀の資本という本の中で世界の格差問題や貧困問題を解決するには一極集中な富に対する累進課税をすれば解決すると言われている
解決策の手立てが提案されてもそれが実行されることはない
人は自分が所有した今あるものを奪われる状況というのを一番嫌う性質がある
自分が死ぬほど勉強して働いたお金
勉強せずに遊んでばかりいる人に何か言われても嫌でしょ??
聖書の中でも怠惰の悪についてはきつく言われている
自由と怠惰
結構その線引きは人によっては怪しい
自由の中に怠惰そのものも含まれている
怠惰する自由を考えると自由なんて言葉がある不自由さを考えないといけない
何をするために生まれてきたのか?
親(師匠)がそれを知らないと子ども(弟子)に伝えることすらできない
間違った常識を親が持っていた場合それを信じてついてきた子どもはどうすればいいのか?
解らないから考える力が重要
決めつけずに保留する力が重要
完全情報なんて一つも無い
だから常に固定点を取り払うことを続けなくてはいけないんですよね
自分が間違ってるかもしれないという目線を常に持つこと
正しさほど怪しい尺度って無いんですよね
世界を観察しているとほんといろんな人がいる
違いを知ることでしか尺度を拡げることはできない
だからこそ全ての出来事は反面教師として学ぶことができる
コンビニの店員さんとの買い物のやりとりのあとで一言ありがとうを添えられるかどうか
お互いに人間なのにマニュアルのせいなのかどこか機械とのやりとりのようにたまに思えてしまうんですよね
この先の社会を想像した時にコミュニケーション不全が一番怖い
本人には直接言えないのにネットの掲示板とかで誹謗中傷がかけてしまう心理
なんで自分が神様ポジションで見てるん??
それが心身分離している状況とも言える
現実世界の拡張をネット空間に反映させてはだめなのだ
地道に今目の前を見続ける
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
今日はうつしき合気道部の稽古の日
昨日土井さんが古武術研究家の甲野さんに投げられている動画をみて土井さんの受け身のウマさに驚愕
さすが武道経験者だなぁ
できるの奥行きはかなり広い
サッカーができるといってもプロと部活だとレベルが違うんですよね
そのギャップを埋めるには地道な稽古しか無い
大きく変えるのは大変だからコツコツいきましょう
今日も最高な一日を