デザインする上での意識の設定 生きる上での美学の追求

 

 

色々な作り手と話す機会の多かったいびつでのこの設営も含めた三日間

 

過去を共有する友人との歴史の振り返り

 

当時自分たちが何を考えどう足掻いてたか

 

学校時代、卒業後、オーストラリア時代、帰国後、現在

 

ところどころ穴埋めのように空白な時間はあるものの

 

この現在SNSのようなものがあるのでなんとなーく現状は把握できるものの

 

実際に対面してあってみて話すことによって更に深まっていく

 

共有している時間が長いということはそれだけ当時と今のそれぞれの現状立ち位置をそれぞれの視点から話すことができる

 

それがどれだけ有意義な時間か

 

感慨深さというのも勿論ある

 

10年間の振り返りの清算をするためにも今回の時間があったんだろう

 

今回の展示に合わせて帽子を作ってくれた大ちゃんも遥々東京からやって来てくれた

 

自分の帽子の嫁ぎ先が決まって行く様を見届ける親のような気持ちを体験する機会というのはなかなか無い

 

直接足を運べるかどうか

 

それすらも行動するかしないかで変わってくる

 

人生では来ないという選択肢だってできるのだ

 

でも動かないことによっては何も動きはしない

 

頭の中を精一杯働かせて思考をしたとしても実際に動かなければその場を足踏みしている状態ともいえる

 

思考の優位性を叫ばれる昨今において実際に行動することの重要性をひしひしと感じるのです

 

頭でっかちさん達よりも行動派が軽やかでいいっす

 

柳田國男の提唱したハレとケ

 

ハレとケの境が曖昧になりつつある現在において

 

アクセサリーを作る上でケ(日常)を深めていきたいという思いがずっとある

 

特別代わり映えしないような日々の中を彩るジュエリーとは?をデザインの軸におく

 

奇を衒ったデザインというより日常に寄り添うデザインとは?

 

過剰な装飾性より飽きのこないデザインとは?

 

デザインする上での意識の設定はそこにある

 

そしてそれとは反対の晴れ舞台での装飾性というのも意識のどこかで必ずある

 

その両極を行き来しているともいえる

 

作ると選ぶ

 

どちらも同じようでいて時代の気分も作用する

 

上の世代の提唱する工芸概念にあまり惹かれないのもその時代の気分が僕にとっては大きい

 

そこに関しては対岸の火事に見えてしまうんですよね

 

いわゆるミクスチャー世代だし選ぶということの年齢が若ければ若いほど選択肢が多い今の時代

 

そもそも誰かの作り出した枠になんてハマりたくないし

 

線の境というのを限りなく曖昧にしていたい

 

言葉というのはどうとでも使えてしまう都合のいいもの

 

重くもなれば軽くもなる

 

飾ることもできればさらけ出すこともできる

 

そんな曖昧なものを僕らは共通認識として使用している

 

枠の制定があればあるほどそこをはみ出たくなる心理構造

 

レビィストロースの提唱した構造主義はどこまでいってもついてくる

 

過去にこねくり回された理論はポストという名がついて再度やってくる

 

アップデートした焼き回し

 

哲学という言葉を操る人たちによる一種の言語束縛

 

どこまでいっても言葉に縛られる不自由なのが人類なのかもしれないっすね

 

だからこそ感覚器官をどう更新できるか?

 

身体感覚の拡張をどうすればできるのか

 

スマホという機械に飲み込まれている人たちを如何にスマホから遠ざけられるか

 

ほんと難しいっすよね

 

一度便利を覚えてしまうとそれが当たり前になってしまい

 

元々無かったものでもそれがなくなることが考えられなくなっていく

 

テクノロジー自体を批判したいわけじゃ全然無い

 

むしろそれを使う人の問題だったりする

 

適度な距離感をもって付き合えるかどうか

 

勿論没入するのもいいんだけどその対象が一体なんなのか

 

そこが大事っすよね

 

空だったり無だったりを説いた仏陀の教え

 

日本という国に暮らす僕らにはどこまでいってもそこは切り離せないのかもしれない

 

最終的に死んだら何も無くなる

 

色即是空

 

空即是色

 

そこが根っこにあるのかもしれないですね

 

世界各地で発見された石碑なんかをよく見るとこの地球の人類史が何度目かということも見えてくる

 

手塚治虫の漫画「火の鳥」の世界を今生きているともいえる

 

まぁそれすらも妄想や陰謀という言葉で言いくるめられてしまいますからね

 

見たく無い物に蓋をしてしまう思考停止状態に陥ってしまう怖さ

 

言葉の不自由さをほんと感じる

 

どこまでいっても人はそこからは離れられないのかもしれない

 

難しい問題だなぁ

 

生きる上での美学の追求

 

そこにこそ本当に観たい世界がある

 

生き様を通した姿勢そのものに人は惹かれる

 

格好いい大人とはどんなだろうか

 

その格好いいとは?を追求し続けることこそが生きる意味ともいえるのかな

 

そんなこんなでタイムアーップ

 

いびつでの展示はまだまだ続きますよ

 

僕はこれから新潟に向かいまーす

 

また海で流木でも拾おうかなぁ

 

ほんとお金のかからない遊びっす

 

明日は久しぶりに金沢の21世紀美術館にでもよってフェリーで福岡戻りますよ

 

土地土地の郷土の持つ歴史を存分に感じたいと思います

 

今日も最高な一日を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono