死生観 死を定めると生きることの密度が濃くなる
来週末から始まる いびつ店主 佐々木雄一展のインタビュー動画第一弾の公開です
古くからの友人がこうして映っているのがなんか感慨深いもの
主体と客体
自分のことは一番自分がわかっているという思い込み
それってほんと怪しいなぁと常日頃から疑っている
自分にはこういう傾向があるくらいで思っていないと信じすぎるのはよくない←自己過信
思い込みというのはいつも怖い
いつでも謙虚さがないとプライドが育つし
でも適度なプライドがないと「こいつ信念がないのか?」と思われかねない
相反する対の概念が常に働いてしまう
明日死ぬかのごとく今日を生きるとしたらどう生きるのか?
禅では常に一日一生を説いている
ずっと続くものなんて果たしてあるのか?
展示のスケジュールとかで何年先の予定を決めても本当にその時まで生きてるかすら正直解らない
そんな曖昧な世界の中で僕らは生きている
100年以上前にニコラテスラの開発したフリーエネルギーが普及していれば、電気代という概念もなくなり、石油資源や原発、景観を壊す風力も太陽光パネルですらいらないのである
でも、それを利権によって隠蔽されているからこの世は本当におかしい
世界各地の膨大な軍事費があれば全ての人に教育と食事を与えることができて飢餓も貧困もなくなる
もちろん防衛という観点が抜け落ちてるのはわかるけど、そもそも攻めるという意識が前提にあるのが本来おかしくないっすか?
なんかこういうことばっか考えてると人は争ってばっかだし、勉強も行動もしないのに文句ばっか言ってだと生きてる意味が解らなくなってくるのは確かですよね
でもニーチェ哲学のニヒリズム(虚無主義)に陥るのもなんか違くて、その先は感覚的になんか暗いんすよね
仏教の無常観はなんかあたたかく感じるんですよね
これは僕が日本人だから東洋思想びいきって可能性もあると思う
海外に住んでた時テレビなんかで日本のニュースなんてめったに流れない
ということは関心があるのはどの国でも自分たちのことだけとも言える
わざわざ調べてまで他の国のことを知りたいと思う人が少ないってことはあるだろう
ニーズがなければ報道する意味がなくなってくる
対岸で起こった火事には野次馬しか生まれない
じゃあ当事者意識ってものすごく大事になってくる
人はいつか必ず死ぬのにどこかしら先のことと思ってしまっていて自分ごととして捉えていないのではないか?
必ず死ぬとわかっているから必死になるのだ
死生観をきちんと持っておくことってほんと大事なんだな
死に対する恐怖が生を彩る
これも人の持つ感情の対概念の一種なのだろう
死を定めると生きることの密度が濃くなる
緊張と弛緩
日常がボワつかないようにしっかりと地に足をつけること
身体はちゃんと緩みながらという前提でね
赤ちゃんの柔らかさを見てるとほんとすごいんです
逆に老人を見ていると老いることは硬くなることなんじゃないかなぁと思うんですよね
じゃあ、若々しいということは柔らかいこととも逆説的に捉えることができる
柔らかいもの同士だとそもそもぶつかりもしないっすからね
身体だけじゃなく思考も柔らかければなおいいですよね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
太田美帆新アルバム発売に向けてのインタビュー記事をうつしきホームページ内 – 対話 – にて公開しました
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音楽の視聴もできるように今用意中なのでしばしお待ちくださいね
今日は明日からのお茶会に向けて茶人 堀口一子さんと陶芸家の石原さんが設営でやってきます
最終的な舞台をどう仕上げ着地点をどこに設定するかを考えるのはいつだって楽しい
人の創造力を少しでも良い方に使えば世界は楽しくなると僕は思うんすよね
思ってるだけじゃ始まらないから小さくでもコツコツ発信し続ける
今日も最高な一日を