人生の責任を自分で取ってるか?

 

 

昨日はpanchavatiの健さんの葬式へ

 

佳王理と静岡まで日帰りで行ってきました

 

行くまでは信じないぞ!と思ってたけど現実は変わらない

 

前回の癌の手術で声帯を取り除いて

 

声を失くして

 

大好きなサーフィンもできなくなってしまい

 

味覚や嗅覚もほとんど感じなくなった

 

生業としていた料理の味がわからなくなった

 

と最後に会った時に言っていた

 

それでもこんな身体になってまで生かされた意味をずっと考える健さん

 

落ち込んで気持ちを塞いでたって何にもならない

 

ともう金輪際落ち込むのを禁止すると言い放つ健さん

 

もし、自分が同じ状況になった時に

 

果たして同じような態度を取れるだろうか?

 

オロオロしたり

 

なんで私なんだろう?と運命のせいにしないだろうか

 

弱さと最後まで向き合いきれるだろうか?

 

何かのせいにすることって簡単だ

 

人のせい、環境のせい、政治のせい、ルールのせい、天気のせい etc

 

今なんて責任の所存を自分に持たない人で溢れている

 

何か問題が起きても言い訳だらけ

 

言い訳せずに問題と向き合わないと

 

健さんは徹底的に向き合い続けた人

 

中学高校の時は暴走族からディスコ、第一次サーフィンブーム、VANの石津謙介の元で働き、その後アメリカへ行って、グレイトフルデッドを追いかけて、日本に戻りシェフを数年して、家業のお茶屋さんで働き、そこで最初の癌が発覚し、本当に好きなことだけをしようとpanchavatiを始めた

 

これは全て本人から聞いた話

 

もっと色々と話したかったなぁ

 

いつでもほんとパワフルで強かった。笑

 

大きな権力に対して抗い続ける姿勢

 

その生き様見習います

 

口だけじゃなく行動で示せるようになる

 

ひとまずほんとお疲れさま

 

ほんと最後の闘病生活はずっと苦しかっただろうし

 

不自由でしかなかっただろう

 

それでも大丈夫!!と思ってしまうのが健さんの強さ

 

健さんなら大丈夫!

 

健さんならなんとかなるっしょ!

 

そう言えてしまうんだよなぁ

 

死ぬことはもちろん悲しいことだけど

 

忘れさえしなければ頭の中にいる

 

肉体という不自由さから解放されたんだ

 

今は光となって行きたいところに瞬時に行けてしまう

 

あっちの世界で縁を繋いでくれたたしろと一緒にいることだろう

 

死んだ先なんて誰にもわからない

 

想像だけど一つの根源のような場所に戻って行くだけのことなんだろうな

 

いつ死ぬかわからないからこそ今に集中する

 

死への実感こそが生を際立たせる

 

死を想い今を生きよう

 

それだけだ

 

やるべきことから目を背けずに

 

徹底的にやる

 

そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす

 

早くも11月で今年もあと2ヶ月しかない

 

一年なんてほんとあっという間に過ぎていく

 

しっかり意識して生きなきゃ

 

誰の人生でもなく自分の人生を生きる

 

自分の人生の責任を誰かのせいにしてちゃダメだ

 

責任を持って生きる

 

やるべきことをとことんやろう

 

さぁコツコツ手を動かして行きましょう

 

最高な一日を

 

 

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yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono