人生の命題

 

 

 

 

 

生きる上で大切になってくるものの一つ。それはラディカルな意志だと思う。ラディカルな意志とは何か。この質問に答えるのは難しいが、その難解さがこそ、それを理解しようとする私たちの挑戦を物語っている。ラディカルな意志とは、一言で言えば、現実を超越し、新たな可能性を創造する力だ。それは人間の意識、感情、行動のすべてに深く関わっている。

 

 

このラディカルな意志を理解しようとするとき、私たちは混沌とした宇宙を見つめるかのように、未知の領域へと足を踏み入れる。視覚で捉えることができる現実、理性によって理解することができる世界、それらすべてがラディカルな意志によって塗り替えられる可能性がある。

 

 

たとえば、科学者たちは自然の法則に基づいて世界を理解しようとする。重力の法則、進化の法則、これらは私たちが世界を理解するための重要な道具だ。しかし、それらは全てが全てを説明するわけではない。いつだって新たな発見、新たな理論が生まれてくる。その新たな発見や理論を生み出すのが、ラディカルな意志と言えるだろう。その力は新たな視点を提供し、私たちに新たな理解をもたらす。

 

 

ラディカルな意志はアートにおいても重要な役割を果たす。アーティストたちは常に新たな表現を求め、未知の領域を探求する。新たな色彩、新たな形状、新たな構図、それらは観る者の視覚を刺激し、感情を揺さぶる。その新たな表現を生み出すのが、ラディカルな意志だ。その力は新たな美を創造し、私たちに新たな感動をもたらす。

 

 

このように、ラディカルな意志は科学者もアーティストも等しく動かす力だ。それは自然の法則を超越し、人間の感性を突き動かす。自己認識と自己超越の過程で、我々が「自己」という概念を定義し、生きる意味を探し出す道具ともなる。

 

 

だが、その探求は容易なものではない。それは、形状を絶えず変化させ、深淵へと消え去る砂のようなものだ。掴もうとするとすり抜けてしまい、最終的に手に残るものは何もない。それでも我々は挫けず、この逃げる砂を掴もうとし続ける。その挑戦そのものが人間の意志の力を示し、それこそがラディカルな意志の本質である。

 

 

人間の歴史は、ラディカルな意志によって塗り替えられてきた。未知の大陸への探検、新たな科学の発見、衝撃的なアートの誕生、それらはすべて、ラディカルな意志によって可能になった。そしてその過程で、我々は新たな自己認識を獲得し、自己を超越することができた。

 

 

ラディカルな意志を理解し、それを体現することは、物事を深く理解し、広い視野で世界を見るための鍵であり、真の意味での自己認識と自己超越を可能にする。これは容易な挑戦ではないが、もっとも充実した冒険でもある。人類の未来がどのような形をとるかは、我々一人ひとりのラディカルな意志にかかっているのかもしれない。

 

 

だからこそ、我々はこの難解で美しい探求を続ける。我々にとっての課題であり、目指すべき方向なのだ。それは我々が生きる意味を見つけ、自己を超越するための鍵となる。そしてこの挑戦こそが、最も難解で、最も価値のある挑戦なのだ。

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono