常識を疑う
常識とはなにか
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別
と辞書にはある
僕はこの常識を常に疑うようにしている
健全な一般人、普通の知識や思慮分別という定義自体がまず曖昧だ
立場や価値観、地域性、宗教、国とその立場が変わればその常識もそれぞれに変わるのに
それを一緒くたにひとつに括られてしまうことは怖い
本来もっと多様でいいはずなのに
自分自身の話で言うと原発問題があったときにその主張が違うだけでおまえとは考えが合わないと
切れそうになってしまった縁もある
推進と反対
この二択だけで話し合えるような議論ではないはずなのに
しかも未だに答えなんて出てないのだ
議論の際にもそれぞれの立場を理解したうえで発言を聴くということがなく
自分の価値観や考えを疑わずそれが正義だと思い振りかざしている
一歩引いてみて相手の意見をきちんと聞き一度考えてみる
二択という二元論だけで答えに導くのではなく
もっと時間軸や曖昧さだって加味してもいいはずだと思ってる
感情に走るのは危ないけど
なんか今日重い話になったのは昨日石屋で聞いた政治の話がきっかけだろう
ヒンドゥー対ムスリムという図式を作り上げ煽ろうとする今のモディ政権のポピュリズムは怖い
対立構造を作り上げさえすれば分断出来ると考えるのは古くからの争いの作り方
一人一人の人の死が決して軽くなることがないように
それぞれにそれぞれの物語があることを意識して
常識やモラルを疑い生きていく
やっぱ重いなぁ
そんなときこそ思考軽やかな一日を
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