個人的ファッション史 地元編

 

ファッションがずーっと好きだ

 

中学の時から新聞配達をして

 

当時は地元北海道帯広にあった古着屋などに通っていた

 

ファッション雑誌(中学当時はsmartやboon、coolとか)を

 

情報を逃すまいと貪り読んでた

 

特に当時のsmartのストリートスナップ特集は

 

日本の各地方やニューヨークやロンドンの着こなしが見れて参考にしてたなぁ

 

WORLD WIDE LOVEのニットにLEVI’S 606のブラックデニムに

 

ジョージコックスのラバーソウルなんて履いてたっけな

 

高校に入りバンドを始めた

 

ライブハウスに来る人たちの服装や先輩の服装などを参考にしてた

 

みんながどこで服を買うのか聞きまわっていた

 

バイトの時給も新聞配達よりもだいぶ上がったので

 

年に2、3回高速バスに揺られ

 

数時間かけて札幌まで買い物に行ってたのは懐かしき思い出

 

当時は裏原最盛期で

 

お金が無いなりにもバランスウェアデザインやHECTIC、MACKDADDYなどと

 

古着を組み合わせたキッズだった

 

雑誌に載ってる服が買えた!とはしゃいでたのも20年以上前の遠い昔

 

友達数人で行った2002年のRISING SUN ROCK FESTIVAL は

 

今でも思い出せるくらいの良い思い出

 

お金も無かったので初日、二日目の夜を野宿で過ごし(北海道の夏の夜は野宿だと寒かった,,)

 

札幌大通公園の水道で頭洗ってた

 

その辺りを境に読む雑誌や着る服もまた変わっていった

 

裏原から古着にまた戻りつつ

 

men’s non-noやPOPEYEを読み

 

服もDIESELやLAD MUSICIAN、ATTACHMENTなどを買ってた

 

東京に行くことを意識し始めたのこの頃だった

 

バンドの練習スタジオの横に併設されていたヴィレッジバンガード(確か高二冬くらいに出来たはず)には

 

色々なカルチャーを知るという意味ではかなりお世話になった

 

高三の夏初めて東京に行く

 

専門学校の夏の体験入学

 

全国から集まる同じ目標を持った服好き達が集まり

 

同じ年でこんな奇抜な服装や考え方のやつがいるんだと

 

かなり刺激を受けて帯広に帰った

 

そこから東京に行くまでの間STUDIO VOICEや装苑なんかを読んでいた

 

矢沢あいのご近所物語やParadise Kissなんかも読んで刺激をもらっていた

 

正直高校生活(授業)に面白さを見出せなかったし

 

行き場の無いエネルギーを溜め込んでいたけど

 

地元を離れることへの寂しさはなく

 

花の都大東京でのエキサイトな生活が待っていると思うと

 

楽しみで仕方なかったなぁ

 

 

自分を振り返るという意味でも

 

こうやって書き出して振り返ってみるのありだな

 

個人的ファッション史は

 

この地元編、東京挫折編、生きる目的を見つけたオーストラリア編、現在編の

 

4章に分けて書いていきたいと思います

 

誰か見たい人おるのかな?

 

全ては今に繋がっているということで

 

乞うご期待 笑

 

今日も素晴らしい一日を

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono