個人的ファッション史 東京挫折編

 

ファッションがずーっと好きだ

 

東京に上京して

 

バンタンデザイン研究所のスタイリスト科に入学

 

全国津々浦々から個性的な奴が集うかなり面白い場所だった

 

周りの目を気にしない(むしろ気に出来ない)奇抜な奴の巣窟

 

そんな場所だったからこそ

 

うぉー東京ってやべー!!ってなったし

 

その個性と個性のぶつかり合う場所にいたから

 

自分とはなんだ?ファッションってなんだ?と

 

毎日のように模索していた

 

パチンコ屋でバイト(高時給に惹かれ)しながら

 

大量にある学校の課題をこなしていた

 

自分の好きなことを学んでいるから

 

授業も全然苦じゃない

 

でも、あの頃の服装は個性を出そうと

 

今思い返してみても恥ずかしいくらいダサかった

 

髪の毛を青くしたりモヒカンにしたり金髪坊主にしたり、、

 

バイクに乗ってたからライダース着てたり

 

そのライダースが貧ぼっちゃまが来てるような半分見頃だけの変わったやつで

 

側から見ても可笑しいはずなのに麻痺しちゃってるんですよね

 

これマルジェラなんだよねとか言っちゃって

 

最高に楽しかったけど服装は完全に黒歴史

 

個性の出し方を完璧に間違ってました笑

 

でも目の前のことには本気で向き合っていて

 

手伝いで東京コレクションの裏方の手伝いをやったり

 

卒展のファッションショーのディレクターをやったり

 

色々と動いていたのも事実

 

アーバンノマド(2006年当時を考えると今思うと割と先見の明がある個人テーマ)

 

というスタイリングで賞をもらったりで変なプライドも確実に育っていたと思う

 

卒業してからは通常スタイリストというのは

 

誰かのアシスタントについて3年くらいその人の元で

 

経験を積んで独立していくのが基本にあるんだけど

 

でも、自分は誰かの下で働くよりも自分でやりたいやってみたいと

 

最初の頃はアシスタントにつかず

 

自分でスタイリストを名乗って仕事をもらっていた

 

(後先考えない無謀な奴とはきっと俺のことだろう)

 

それでも友達のカメラマンやヘアメイクと作品撮りをして

 

ブックと呼ばれる営業用の作品集を作って

 

営業してみたり

 

そこからフリーペーパーのスタイリングの仕事とか

 

雑誌の仕事をやらせてもらったり

 

イベントのショーのスタイリングをしたりしていました

 

でも月の大半はバイトをしながら

 

専業で食べていけるほどお金もなく悶々としていた

 

結局一からもう一度学ぼうと

 

先輩の紹介でファッションの一線で働くスタイリストのアシスタントになる

 

そこからの2年半の日々は思い返しても地獄のような毎日

 

徹夜は当たり前で常に睡眠不足

 

完全な休みは年間5日あるかないか

 

それでこそ高校の頃読んでいた雑誌だったり

 

みんなが知っている芸能人、タレントのスタイリングや

 

ブランドのカタログや広告など色々な経験を積ませてもらった

 

右も左もわからないこの業界の大きな枠組みや流れみたいなものを

 

肌で感じることが出来た

 

服を借りて返却して

 

雑誌のクレジット表記を編集の方に送って

 

それの確認をしたり

 

渋谷のスクランブル交差点でモデルハントをしたりしていました

 

でも馴れって怖いですね

 

いつの時からか自分の方が師匠より格好いい作品を作れるって思ってしまって

 

仕事の方向性でも自分はよりモダンでクールなことがしたいと生意気だし尖っていたんですよね

 

そんな想いが沸々と湧いてしまい

 

結局揉めてしまいクビになることに

 

当たり前ですよね

 

自分にアシスタントがいて自分の仕事にケチつけられたら

 

誰だって嫌じゃないですか

 

当時の自分はどこを切っても自分、自分、自分、、

 

我執にまみれていてそんな気持ちを組むことすらも考えることも出来なかったのです

 

忘年会の二次会の恵比寿のダーツバーで思ったこと全部口にしてしまい

 

クビを宣告されて

 

夜中の駒沢通りを泣きながら学芸大学にある

 

当時住んでいたボロアパートに歩いて帰りました

 

そこからどれくらい腐っていたかな

 

たぶん1ヶ月くらいは引き篭もってました

 

高校の時からの夢が破れてしまい

 

俺はこの先何をしていけばいいのだろうと

 

周りの友人達も僕を一人の個人として見てくれる人はいいのだけど

 

あの人のアシスタントだったからという肩書きで人のことを見る人も大勢いて

 

そんなことも思い返せば辛かったですね

 

闇の中にいるような感覚

 

この先どうしようかなと考えていた

 

ずっと海外に行きたい気持ちもあったので

 

ロンドン、パリ、ニューヨークと考えてみたけどなんかしっくりこなくて

 

そんな時オーストラリアに住んでいた先輩が

 

オーストラリアいいよ環境もいいし人もいいし働きながら英語学べるよ

 

という声に惹かれ

 

そこからバイトを2、3ヶ月フルで働いて

 

なけなしのお金握りしめオーストラリアに旅立つのです

 

友人たちにレンタカーで成田空港まで見送ってもらい

 

色々な感情が溢れてしまい

 

ゲート前恥ずかしいくらい涙が止まらなかった

 

北海道から上京する時のような

 

それともまた違うような

 

約5年を過ごした東京よ

 

俺は果たして夢に破れてここから去るのか

 

それとも次への挑戦のため前を向いているのか

 

次回、生きる目的を見つけたオーストラリア編へ続く!!

 

個人的ファッション史というよりyasuhide ono歴史になりつつある

 

文章書くのって難しい、、けど楽しい

 

yasuhide ono | 小野 泰秀

五児の父 世界放浪の際にアクセサリー制作の活動を開始 2013年福岡県宮若市に移住 2015年9月新月より福岡県宮若市にて「うつしき」というギャラリーを始動 日本の美意識、東洋的価値観、装身具の持つ”心を装う”という機能を追求する

うつしき

暮らしと道具のあいだ

©yasuhide ono