Happiness only real when shared
普段より遅く寝たにも関わらず目が覚める時間というのはいつもと変わらない
これはもう身体に染み付いた一種の癖のようなものなんだろう
駅に併設した宿の五階の部屋
窓から外を見渡せばすでにたくさんの人たちが通勤の為行き来している
普段宮若にいては見られない感じられない景色
この仕事を始めてから通勤という概念がなくなってしまった
展示での出張での移動
これと毎日の出勤というのは大きく変わってくる
自分の場合だと保育園の送迎が出勤になるのかな
人と比較することと相手の立場になって物事を考えることでは大きく変わってくる
比較するには他者の存在が必要になる
相手の立場になるには相手のことを汲み取ろうという気持ちの部分が重要になってくるが
比較の場合気持ちよりも表層の部分をさしている
ここで比較と相手の立場になって考えるというのは大きく意味合いが変わってくる
個人という最小点
自分一人だけだと何かと比較することすら出来ない
他者がいて初めて自分という認識が生じてくる
認識論について古代の賢人たちは様々な考察を残してくれている
人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか
人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか
ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか
人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか
哲学的認識論と科学的認識論
ここらへんのアップデートをもう少ししていかなくては
西洋的アプローチの場合最終的に個人が神に近づこうという形で終結する
東洋的アプローチの場合だと空(エンプティネス)に終結すると思っている
どちらも個人を超越した世界ではあるのだが根本が大きく違う
偶像を持つ西洋的宗教観と偶像を持たない東洋的宗教観
超人願望というのは神に近づこうする人間の欲とおこがましさの現れな気がずっとしている
自分すら無いと我を無くした東洋的な価値観や精神性に個人的には興味がある
我を無くして誰かの為に動く
人と人の上下の無い対等な関係性作り
飛行機から電車、街を歩く人、お店にいる人
普段とは違う光景を見たときにこの人たちにもそれぞれの日常があって
普通に暮らしていたら出会いすらしない
その中でも御縁というのがあって人との出会いの縁が起こり
そこから縁起という言葉が生まれた
縁起が良いいうのは人と人の出会いをさす言葉
だから一つ一つの出逢いを大事にしないと行けなくて
一期一会を考えると自分の取るべき行動というのも浮かび上がってくる
お店に行ったときに態度の良いお客になりたいなぁと思っていて
コンビニでも無言でお金払って終わらせるよりありがとうと一言付け加えるとかね
美味しかったの一言だったりを自然と言える奴になりたいな
スマホやパソコンとばっか向き合っているとコミュニケーションまでどこか機械的になっていってしまう
そっちの世界には色が無い
情緒豊かな世界
ぬくもりや色や温度のある人間関係やコミュニケーション
目指すべきは確実にこっちでしょ
でないと本当の意味でAI社会に組み込まれてしまう
人間であることを謳歌しないと勿体無い
この肉体を持って生まれた今世において自分は何が出来るのだろうか
それを日々問い続けていく
なんだろう
久しぶりに沢山の人に会ったりすれ違ったからなのかな
福岡空港で久しぶりに食べた一蘭のラーメン
美味しいしあのシステムって画期的だけど少し個人主義的だなと僕は思ってしまう
味に向き合うという意味での深さは出るからどの側面で見るかだよね
何度も見返す大好きな映画でinto the wildがある
その中のセリフの中に自分史に刻み込んでいる名言がある
Happiness only real when shared
幸せは、分かち合う時にのみ本物になる
主人公のクリスが死を前に綴った言葉だ
これを胸に今日も生きていく
普段なら子どもを起こす時間だけど今日は東京なのでなしです
昨日ディスプレイも無事終わり
annabelleさんでの展示の初日が始まります
どんな出会いがあるものか楽しみにしています
今日も最高な一日を
このツイッターのアカウントではツイートよりいいねを観て頂ければニュースには出てこない世の裏側が見えてきますよ
タイムラインをネガティブな情報で埋めたくない
少しでもポジティブにみんなが生きやすくなる世の中の空気を作りたい
周りに誰も争いを好む人なんていないでしょ?
真実を知ろう pic.twitter.com/1ZVZs9NUYe
— yasuhide ono / うつしき (@utusiki_) May 10, 2020