思考と行動が切り離されてしまう時代への憂慮
寒さが突き刺さる痛い朝
書き始めを天候に紐づけると表現の幅が狭くなる気がする→語彙が少ないやつ囧rz
日本人って天気を交えた会話が非常に多いと聞く
そこには世代間や立場などが一切関係なく万人に共通する話題だからであろう
昨日はうつしき合気道部の稽古の日
月に二回二時間の稽古
これがほんと面白くて面白くて仕方がない
考えてちゃもう遅い
思考は事前に終わらせておかなくちゃ動けない
目の前にナイフを持った相手と対峙した時に余計なことを考えてたらプスっと刺されてしまう
相手の動きに合わせることだけを感覚で察知しないといけない
あぁ思考偏重に陥ってるなぁと稽古の度に思わされるのです
一度身体で覚えると忘れない
あとで振り返った時に動作に言葉をおいてやれば関節をキメる際にはこう動いた方が相手は逃れにくいよねとロジカルに考えられる
身体構造を知る
関節や筋肉の動きや仕組みが解ればより効果的に動けるようになる
でもまずは真っ先に動けるかどうか
思考と行動がますます切り離されてきてるなぁと思うことが多々あって
みんなでご飯を食べてる時にあっあの人水が入ってないと気づいてすぐ動けるって周りが見えてる証拠だとも言えて、それをそのままにすることもできれば注いであげることもできるのであって、まずは察知しているかどうか、そしてすぐさま動けるかどうかだろう
これはあらゆる状況下で言えることなんだろうけどすぐ動いて注げる人は周りが見えていて思考と行動が一致してるとも言える
でも頭の会話が多いと理屈っぽくそこに意味を置いてしまうんだろうな
五感の重要性よりも思考が優位な時代なんだなぁと弟とか小田くんと話しているとつくづく思う
頭で納得しないと動けないのはそこに目先の結果が生じるからだろうか
長期目線での成長が見えてなくすぐ結果(意味)を求める
行動→即結果というインスタントな考え方
そこに地道な積み重ねと時間というプロセスが省略されているのに気づいていない
あんまりにもぼんやりと目的が抽象化しすぎていてだから具体的に動くということが全然ない
痩せたいと願っても運動する食を減らすなどの行動がなけなければ病気でもない限り痩せることはまずないのであって
身体の柔軟性と思考の柔軟性を紐づけて考えられないのはなんでだろう?
そういう体感がないからと言えばそこまでだろう
だから解らないし納得できない
しなやかさが生む軽やかな思考
身体操作がうまいヨガの先生や身体を知り尽くした整体師、アスリートと話すと思考も超柔らかい
自分自身ヨガや合気道も始めて身体を意識して動かすようになって思考もどんどん柔らかく枠に捕らわれなくなった
体感がないと納得できない
それは確かだろう
人の痛みが解るのは相手の立場に立って考えられる感受性にあるのであって
思考と身体を繋げて考えられないのはなんでだろうとつくづく思う
思考と行動を切り離しちゃまずいっす
身体で納得し続けないと
思考は簡単にハックされてしまうし楽な方に流される
これだけは忘れちゃいけない
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
子どもは超柔軟
一緒に参加してる子どもたちなんてほんとに柔らかい
だから思考も何にも染まっていないし意味なんて求めない
もっともっと捕らわれずしなやかで軽やかでありたい♡
Center for COSMIC WONDERでの展示も今日が最終日
制作の時間と展示の時間
時間はほんとあっという間に過ぎていく
だからこそ毎日を納得して生きたいっすね
さあ手を動かすぞぉ
今日も最高な一日を