物で溢れる世界の中で物を伝えることの持つ意味
うつしきというお店を始めて
沢山の人の展示や物作りに携わるようになって作り手の考え方を知ること
こだわるポイントもみんな違うし、大事にしてるところもみんな違う
今作り手自身が制作のプロセスを配信するようなプロセスエコノミーなる分野が流行りつつあるしこれから加速度的に増すだろう
これはそもそも情熱大陸だったりプロフェッショナル仕事の流儀などのドキュメンタリーからくる部分は多少はあると思っていて
出来上がった作品のクオリティはもちろんなんだけどその人の持つ思考回路自体に価値がある
自分の好きな作家さんの配信や考えが気になるのはファンにとっては嬉しいこと
自分たちもその背景に興味があるからこそ展示をする作家さんの元を訪ねて撮影インタビューをしている
ここで考えなきゃいけないこととして
人の作るコンテンツに人はどこまで時間を割くのか?
そもそも興味を持ってもらうことって超、超、超大変なこと
youtube漬けになっていたりNetflix漬けになっていると
他人の作るコンテンツに時間を消費されていることと同じであって
反対に自分がコンテンツを作る側としてその人の時間を取ることになるので時間を割いてまで見てもらえるか?を考え続けないといけない
写真一枚辺りの情報価値がものすごく低くなったこと
自分の投稿する写真だってフィードの中で垂れ流しにスクロールされる中の一枚
そして映像の情報価値もこれだけありとあらゆる方向に多様化しているのでちょっとやそっとのことじゃ検索にすら上がってこない
新しいSNSプラットフォームの参入により人の意識はあっち行ったりこっち行ったり
その中で目立つことはとても難しいともいえるんですよね
有名、無名の知名度
その発信者との親密度などの心の距離感も少しはあるだろう
それでも愚直なまでに丁寧に伝え続ければ届く人には届くと信じている
この先ありとあらゆることの全てがオープンになる時代の反動は「制限」にある
お店を始めた当初は写真を撮ることを目当てにきていたお客さんも多数いた
その誰かがとった写真を見て行ってみたいと思う層も一定数いるのは確かだろう
でも物を売り、物をしっかりと観て欲しい僕らにとっては博物館でも美術館なんかの公共施設でもない個人のお店なんだからと思い店内撮影を禁止にした
その方が長い目でみた時にお互いにとってプラスになるんですよね
物をしっかり見たい人と伝えたいお店という相互関係ができる
物で溢れる世界の中で自分たちが選んだ物を選んでもらう
その物がどのような人がどんな考えで作っているかの背景ってやっぱりとても大事
僕らとしては後世にも残る物を伝えていきたいという想いでお店をやっている
蚤の市とクリスティーズやサザビーズのアートオークション
値段と規模の違いはあれど物を選ぶという本質は一緒だと思っていて
必要なのは教養と眼
その背景を汲み取れるかどうかの感じ方は人それぞれ違う
その感覚の違いを言語化して伝えることをサボってはいけない
感覚派の人の中でなんとなくいいと思うんだよねーというのでは誰かに教え伝えることができないように
世阿弥という稀代の天才がその動きと思考、哲学を言葉として残してくれたことに物凄く価値がある
その感覚とロジックを高速で行ったり来たりする必要がある
全身の感覚で感じ切ってそれを言葉にする
人それぞれ感じ方の違いが面白いのだ
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
子どもたちの感じ方って素直で面白い
でもそれをまだ言葉にして伝えることができないから全身を使って表現するんですよね
昨日搬入予定だった福村くんだけど雪でこられず
今日は気温が上がるからきっと大丈夫、、、なはず
さぁ今回はどんな空間に仕上げようか
持ってきてくれる作品と対話しながら決めていこうっと
今日も最高な一日を