自然と日常が切り離されてしまった背景に迫る
朝日が昇る時間もだんだんと早くなり朝の散歩道にみる植物たちも大きく芽吹き始めた
季節の移ろいをあらゆる角度から感じることのできるこの時期ならではの醍醐味
さて、昨日告知した通り自然と日常がいつから切り離されてしまったのか?について考えてみたい
いわゆる自然が観光資源として消費されるようになってしまった感はどうしてもある
その理由がどこら辺にあるのか?
理由は複合的にあるのを前提として
東京の多摩ニュータウンの開発が1965年くらいに始まったことを考えると東京都市部から関東圏は今に至るまで常に人口増加傾向にあったといえる
現在の日本の人口が約125000000人(一億二千五百万人)
関東圏に住む人口が約43000000(四千三百万人)
日本の人口の約1/3が住んでいるんですよね
これ数字だけで見てもすごくないっすか??
開発に次ぐ開発で人口は増えても土地が増えるわけじゃないから地代が急騰してそこから不動産バブルが始まる
多摩市の当時の写真と今の写真の推移を見比べると跡形もなく変わってるのがよくわかる
当時の時代背景を考えるとそこにテレビが一家に一台普及して都市部の生活の様子が見えるようになり、地方は東京を基準とする生活スタイルを追従するようになった
その結果今の地方の国道を走るとどこにいっても同じようなチェーン店が建ち並ぶ景色といえる
もちろん道路交通網などのインフラが整備されて暮らしやすくなった恩恵もあるんですけどね
その分都市部に行くと土を踏む機会がないんですよね
日常から自然が切り離されてしまっている
それで都市部に住むと週末は田舎の自然のあるところに行き昨今のアウトドアブームをみるように自然を自然と求めることに繋がる
ここから観光資源としての自然という鑑賞対象になってしまったともいえるのです
当時の多くの人たちは自然の一部として生きていた
戦後のいけいけドンドンな空気が経済を後押しして進み
その結果売買の対象でしかなくなってしまった
もちろん戦後の貧しい時代を体験してきた60代以上の当時の各地の暮らしを思うと食えない恐怖よりも消費できないくらいの過剰に傾くのはわからなくもない
でも目標設定を経済成長の一点にしてしまったが故に歯止めが効かなくなったんでしょうね
終身雇用が基本な時代だからその60代以上の考え方というのは保守傾向が強くなってしまう←みんなにあてはまるわけではなくあくまで傾向の話ね
昔の生活を振り返ると自然循環の一部でしかなかった暮らしが今やその暮らし自体天然記念物のよう
養老孟司さんが提唱する都市部と田舎の往復居住する現代版参勤交代を導入すれば双方の暮らしのメリットデメリットが解るので良いのではないかと僕も本気で思う
個人間でも実践する価値はあると思うんですよね
二拠点持つライフスタイルは現実的だし今少しずつそうした動きも出てきてる
田舎は家賃も安いし過疎化が進む地域に若い人の空気が入るとそれだけでも変化する
時間の流れ方も遊び方も違いますからね
子どもを見ていても遊び上手の子の元には人が集まってくる
一人一デバイスの世界だと一人の世界しか拡張しないからみんなで何かをやる遊びが希薄になってしまう
幼少期は特にフィジカルを使った遊びをしまくらないと
遊びの解釈も難しいんだけど創造性の根元は遊びにあると個人的には思ってる
ローもハイもメインもサブもカルチャーが起こる根元を辿れば全て遊びから始まる
自然を満喫する手頃なカルチャーが流行れば大衆意識は自然の循環に向くんじゃないかなぁ
手っ取り早いのは畑ですけどね
種が芽吹いて実をもたらし
そこからまた種を採る
それが日頃から食べる食に通づる
じゃあその一食一食が大事だよねと子どもたちに身を持って教えることができる
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
中に入んないと何にも見えてこないなと今進行中の色々なことを前に思う
その中をバリバリ働く人たちの現場の声ってものすごく貴重で新しい発見をもたらしてくれる
その気づきが次の全部の仕事に活きてくる
いやぁ面白いっすね
全ては学びに置き換わる
苦労は買ってでもします
そのためにもコツコツ手を動かしていきましょう
最高な一日を