世界を一度全て疑ってみる
昨日のブログでも書いた通り春休みの最後を前に子ども孝行をしよう!と映画館に向かう矢先にハプニングが起きた
車のエンジンがかからない、、
ちゃんと回るから問題はバッテリーではなさそう
鍵を回せど回し続けても一向にエンジンがかかる気配がない
車内では映画モード全開な子どもたちの落胆する声
しょうがない
ロードサービスに連絡して来てもらうことに
昼に差し掛かっていたのでみんな空腹ということもありどうしようかとウロウロしていると、連絡して割とすぐにロードサービスが来てくれて原因を追求してくれる
鍵を回してアクセルを踏み込み続けるとボフヴォフッとエンジンがかかったのです!!
もう子どもたちから拍手喝采
これで予定通り映画行ける−!となりなんとか無事に子ども孝行できることになりました
古い車でもう何度も修理に出しては壊れてを繰り返し、次の車検ではもう廃車かなぁと思っていての今回のような事件が起こるともうそろそろ本気で買い替えどきっすね
人数が乗れて荷物が積めるだとかなり選択肢が狭くなる
デザインはもちろん大事だけど壊れないはほんと大事
古いものをメンテナンスしながら使う良さってあるんですけどね
さて、今日は世界を一度全て疑ってみるって話で進めて行こうと思います
情報氾濫時代に置いて何を信じればいいのか?
何も信じないがいいと思う
真実は一つではないから
色々な思惑によって改竄されたり捻じ曲げられてたりする
戦後の墨塗りの教科書の写真とか見たことありますか?
昨日まで教えられてきたことが次の日からそれは教えちゃいけないとなる
それって普通に考えておかしくないですか?
じゃあ何を信じればいいの?となるわけで
だから決めつけちゃダメなのと一度疑ってみること
別に右とか左といった思想でもなくて
純粋に不思議なんですよね
昭和という時代は振り返れば色々とあったんだなぁと今だから見えることがたくさんある
インターネットの無い時代を思うと今ではあるのが普通であり回線速度が遅いとそれにすらイライラしている人がいるのが今ですよね?
今ネットが使えなくなったら人々は一体どうなるのだろうか?
その状態で考えてみないと当時の情報の伝達速度の違いはわからない
あるのが当たり前の世界になるとそれが基準で世界を見てしまいかねないんすよね
今後加速して情報がますます氾濫する
新聞、テレビ世代でそれを信じている人には何を言うことができるのか
人は自分の信じてるものを否定されると気分を害するのはみんな一緒の精神構造
自分で気づくしかない
もちろん気づかずに楽しく生きていくこともできますからね
このまま思惑通りに進んでしまうのかとその動向を見届けたい
自分の見たい世界は自分で築き上げるしかないのだ
同じ世界に生きていると思いきや実は全然違う世界にいるのではないのか?とたまに思うことがあるんですよね
見てる世界の景色は心模様でも大きく変わる
落ち込んでるときにの眼にはどんよりと世界が映るかもしれない
怒ってるときには視野が狭くなってるかもしれない
じゃあ見えてる世界はみんな違う
一人一人が一つの時空を持っていることになる
それをどう扱うかなんですよね
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
せっかくの一度きりの人生だからより楽しいを目指したい
楽しそうな人がいっぱいいるのって空気も明るいからいいっすよね
暗い波動に同調するとそこには暗いが集まってくる性質がある
だから明るいや楽しいは大切な個性の一つ
自分の発する空気を軽くすることを今日も心がけよう
さぁコツコツ手を動かしていきましょう!
最高な一日を