言葉の持つ意味を再認識しイメージと結びつける
編集稽古を繰り返す中で言葉と向き合う日々
普段何気なく使っていた言葉の意味を掘り下げる
なんとなく使っていたカタカナ言葉の意味をもう一度これで本当にあってるんだっけ?と再確認する
例えばモンタージュという言葉とかなんとなく映像を組み合わせる技法でしょ?と認識していたけど改めて意味を調べてみる
モンタージュ:映画技法で、複数の映像の断片を組み合わせてひとつの連続したシーンを作る方法。
じゃあ実際に使われている参考例としてモンタージュ理論の生みの親と言われる セルゲイ・M・エイゼンシュテインの映画は当時のモノクロ、無声映画を手法を知る上でも観る価値あり
映画やドラマを観る上でこの物語を編集している人がいるという監督である編集者の目線を考えてみる
ここにも自分が作るとしたらどんな映像を作る?を前提としてみると解像度が上がる
言葉の持つ意味と映像やイメージが漠然と曖昧な意味合いとして捉えていたことに具体的な像を結びつけることで言葉の奥行きがグッと増すんですよね
こういう言葉とイメージが結びついていない靄がかっている事柄って沢山あるなぁと最近せっせと書き出しては整理している
反対にイメージを言葉にできるかどうかってものすごく大事ですよね
経済が発展しているうちはみんなが同じ「大きな物語」が作用していた
ここでいう「大きな物語」というのは戦後の焼け野原状態で圧倒的に物が足りない中では、みんなで手を合わせて発展を目指そう!と終身雇用が保証されていた時に根底にあった価値観
宗教なんかはみんなが同じ価値観を共有する典型的な「大きな物語」の一つといえますよね
物が行き届き溢れるようになってしまった今の時代ではその「大きな物語」が失われてしまった
その結果自分の価値観や趣味、趣向の合うコミュニティという名のたくさんの小さな物語である「島宇宙」の重なりでできている
自分の見たいようにその自分の所属する「島宇宙」をカスタマイズできる
なんか違うなとちょっと居心地が悪くなればフォローを外したり、離れることもできる
アカウント毎にキャラクターが発生し、現実の自分との乖離に辟易している人も沢山いる
これが分人思想でありペルソナの使い分けをしすぎた結果本当の自分を見失った状態とも言える
SDGsの思想なんかは新しい「大きな物語」として根付かせようと動いていますよね
でもこのSDGsにも裏や闇の側面があるのは承知のことでしょう
人間は見たいと思う現実しか見ない とはカエサルの言葉
誰の視点に立ってみるかが本当の意味での創造性
大きく何かを変えることを望んでいるわけじゃない
馬車馬の如く仕事に人生の全てを費やして消費してしまうのはどうなのか?
人生の命題として何をして誰とどこで生きるのか?は全ての人が死ぬまで平等に抱える問題だ
できるだけ好きなことをしていたいしできるだけ楽しい時間を過ごせるように日々を生きていきたい
そうやって自分軸を生きてる人が少しでも増えればもっともっと世界は明るくなるんじゃないのかな
そんなこんなで子どもたちを起こす時間でーす
考えることは山のようにある
自分の身の回りからできる変化を望み実践するしかないのだ
小四の長男坊と5キロくらいの道を早朝ランニング
同じ距離を走れるようになったものかと少し感慨深い
正義や正解を求める世の中とは少し距離を取りながら今日も理想を求めていこう
コツコツと手を動かしていきましょう
最高な一日を
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