ひとりよがりの妙なる日常の忘備録 vol.1
散歩途中に見かけたブルーシート。
風雨に晒され続けた表情はどこか抽象画のようでいて味わいがある。
元の状態だと見向きもしない。
むしろ苦手なものとしての対象でもあるのに不思議なもの。
朝の時間はとても貴重だ。
怪獣たちが目覚める前の一人の時間は、たとえ5分でも大事にしたい。
自分の時間と家族の時間、仕事の時間の境ってなんなのだろう。
身体のどこかにスイッチでもあるのだろうかといつも思う。
”こっちからここまでは家族の時間ですよ”
”ここから先は仕事の時間ですよ”
と時間と時間を切り分ける何か不思議な力がそこに作用する。
時間で区切ってあるスケジュール帳が苦手な理由は、それがひとつの要因としてあるかもしれない。
このスイッチというのも、電源のオンとオフのような単純な作りのものではない。
音響のミキサーのようにチャンネルに応じた、たくさんのスイッチとツマミ(ゲイン、イコライザー、エフェクター)があり、
その日の気分や昨日の出来事に応じた周波数に自然とチューニングされてデータとして記憶されている。
全部のツマミを一度オフにして、真新しい一日の始まりで朝を過ごしていたつもりが、昨夜の妻との些細な口論がシコリとして残っていて、
それが会話の中でのちょっとした言葉選びや、ボリュームなどの声のトーンと抑揚、感情が乗った言葉尻が微細なエコーによってエフェクトされてしまう。
些細なことが喧嘩に発展してしまう理由は、このリセットし忘れたシコリが問題なことが多い。
たとえ表層のチャンネルはリセットしていても、深層のチャンネルでは残っていたりするからこの問題は難しい。
気持ちのチャンネルにも階層や段階といった目盛りが存在する
そうは言っても昨日と今日、過去と今をゼロ地点で始められるほどボクらは器用じゃない。
それも含めて”にんげんだもの”という相田みつをの声がどこからともなく聴こえてくる。
前後をきれいさっぱり切り離せないから悩むんだし、気持ちが引き摺られるんだろう。
この感情のフィードバック機能が無くなってしまえば、人が人でいる意味が薄れてしまう。
親指一つで安易に人と繋がれてしまうこの時代。
なんかあの人の言ってることは自分とは合わないなとか、
いいねを押した押さないで心を揺さぶられ、引っ張られてしまうほどに、
スマホ、SNSの力は脅威として危機迫っている。
人と繋がるのってそんなに大事なことかなぁ。
勘違いするのも、先読みして疑ってしまうのも、
全部自分の心がそのまま反映されているだけのことだとしたらどうなんだろう。
たとえ今は離れてしまった人がいたとしても、
この先のどこかの未来でまた笑って会えたらそれでOKだと思ってる。
よくスピリチュアルな世界の話で耳にする、波動の合う合わないなんかで簡単に済ませられるほど、
人間関係は希薄で単純なものではないと僕は信じている。
今日は一番下の娘の7ヶ月記念日。
あっという間に過ぎてしまう時間を想えば、
心を寄せていたいことはそんなに多くはないはず。
目の前を大事にしよう。